生涯の友は良きパトロン 画家と企業家、ともに歩んだ2人の半世紀

西田理人
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 日本の洋画史に大きな足跡を残した画家・小磯良平(1903~88)には、生涯の友にして、良き支援者がいた。武田薬品工業の社長を務めた六代目武田長兵衞(1905~80)だ。特別展「秘蔵の小磯良平―武田薬品コレクションから」は、新たに神戸市立小磯記念美術館に寄託された同社の収蔵品から約190点を紹介し、半世紀にわたる2人の交友の軌跡に光を当てる。(西田理人)

特別展「秘蔵の小磯良平―武田薬品コレクションから」(朝日新聞社など主催)は、神戸市立小磯記念美術館(神戸市東灘区)で9月25日まで。一般1千円など。

 その出会いは、2人が欧州遊学を終えた後の1932年ごろにさかのぼる。

 東京美術学校(現・東京芸術大学)在学中に帝展で特選を受けるなど、早くから才能を発揮した小磯は、西洋画科を首席で卒業した後に渡仏。約2年間の滞在で、アングルやドガをはじめ巨匠たちの作品に学び、帰国後も優れた人物画を発表するなど華々しい活躍を見せていた。

 一方の長兵衞は英国留学を終えて、次期経営者として神戸に洋風の自邸を新築。そこに飾る絵の制作を依頼したところから、2人の付き合いが始まったと、企画を担当した辻智美学芸員は推測する。

 交流が始まるとともに、長兵衞は小磯作品の収集を開始。生涯を通じて、小磯の一大コレクションを築き上げる。滞欧中に描かれ、パリのサロン・ドートンヌに入選した「おさげの女」(29年)や、卓越した写実技巧が光る「踊り子」(35年)など、初期の重要作品がそこに含まれているという事実は、早くから2人が信頼し合っていたことの証左とも言えるだろう。

 巧みな構図で9人の若者を並べた「人々」(36年)は、小磯が後に繰り返し描くことになる群像表現を先取りしたとも言える一枚。互いに交差する視線や垂れ込めた雲によって、静かな画面に緊張感が漂い、後に起こるドラマが暗示されている。

 一方、今回の寄託品からは、小磯作品が武田薬品の販売促進などに貢献していた様子もうかがえる。

 戦時中に空襲でアトリエを失った小磯に対し、長兵衞は自邸近くの土地を紹介。徒歩圏内に住まうことになった2人は戦後さらに交流を深め、仕事の面でも同社の広告やカレンダーを画家の絵が彩るようになった。その代表例の一つ「母子像」は、日本初の総合ビタミン剤「パンビタン」の広告に採用され、53年元日の朝日新聞朝刊に大々的に掲載されて話題を呼んだ。

 また約150点にのぼる美しい薬用植物画の数々は、主に同社の機関誌「武田薬報」の表紙用に、約13年にわたって描き続けられたものだ。縦40センチ×横30センチほどの限られた画面に花や実、根などの各部分を収めるため、構図に繊細な工夫がこらされた一方で、その徹底的な写実へのこだわりが職員たちを困らせたことも。

 生きた植物しか描かない小磯のために、京都試験農園(現・京都薬用植物園)の職員は毎回アトリエまで植物を運んだが、「花や葉がしおれているとしおれた状態のまま、虫食いがあると食われた状態のまま描かれてしまう」。多忙な小磯が数日放置した結果、描く前に植物が枯れてしまったことも一度や二度ではなかったという。不満を漏らす職員を長兵衞がなだめる、もしかしたらそんな場面もあったのかもしれない。

 約50年にわたる付き合いを通じて、企業家は画家の制作を支え続け、画家もまた企業のブランドイメージ向上に力を添えた。辻学芸員は「楽しく創造的な関係が築かれていった様子を、作品や資料から読み取ってほしい」と話す。

展覧会概要

◇6月11日[土]~9月25日[日](前期7月31日[日]まで、後期8月2日[火]から)、神戸市立小磯記念美術館(神戸市東灘区向洋町中5の7)

◇休館日 毎週[月](ただし7月18日[月]、9月19日[月]は開館)および7月19日[火]、9月20日[火]

◇開館時間 午前10時~午後5時(入館は閉館の30分前まで)

◇一般1千円、大学生500円、高校生以下無料

◇問い合わせ 神戸市立小磯記念美術館078・857・5880

主催 神戸市立小磯記念美術館、朝日新聞社

協力 武田薬品工業

後援 神戸新交通

◆会期中、一部展示替えがあります

◆感染症拡大防止のため、会期などの変更を行うことがあります