民権ばあさんの道は世界に通ず 民主主義は「まだ生きておるか」

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記者コラム「多事奏論」 高橋純子

 高知空港から車で約30分、斜面一帯に墓石が並ぶ、藩政時代からの古い墓山をずんずん登った一角に「民権ばあさん」は眠る――という書き出しを避ける方法はありやなしや。墓石に手を合わせつつ算段をめぐらす不謹慎な私の隣で、案内を乞うた歴史研究者の公文豪さん(73)がふうふう息を弾ませている。ヤブ蚊がぶんぶん飛んでいる。訪れる人はそう多くないのだろう、案内板が右に30度傾いていた。

 「民権ばあさん」こと楠瀬(くすのせ)喜多(1836~1920)は、日本で初めて女性参政権を要求した傑物として高知ではよく知られている。板垣退助らが創設した「立志社」の定期演説会を「弁財天が男神の中に一人いるがごとく」熱心に聴きに来ていたと伝えられる喜多。夫を亡くして戸主となり、区会議員選挙に参加しようとしたところ、女性に選挙権はないと言われ憤慨する。戸主として男性と同じく税金を納めているのにおかしい――そこで一計、あえて税金を滞納し、県からの督促を逆手に取って伺い書を出した。1878年のことだ。

 「婦女に権利がないというの…

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    平尾剛
    (スポーツ教育学者・元ラグビー日本代表)
    2022年6月30日11時48分 投稿
    【解説】

    歴史上に名を残す偉人ではなく、市井に生きる一人の女性が国家を相手に闘った。このテの話が私は大好物です。 周囲の冷ややかな目に臆することなく正論を口にし、実際に行動を起こした「民権ばあさん」こと楠瀬(くすのせ)喜多さんには頭が下がる思い