球児の下宿先はラーメン店 亡き長男代わりの「わが子」100人超

小沢邦男
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 岡山県の港町、玉野市のJR宇野駅前の小さな商店街に、その下宿先はある。ラーメンの隠れた名店「萬福(まんぷく)軒」。午後7時に店を閉めた後がむしろ忙しい。きょうも丸刈りの高校球児たちが「野球愛」てんこ盛りの晩ごはんをガツガツと平らげていく。

 その日限りの創作メニュー「一期一会」などでラーメン通に知られる萬福軒は、県立玉野光南高校の野球部員の下宿先でもある。春夏合わせて5回の甲子園出場経験がある有力校を支える。

 6月のある晩の主菜は肉じゃがと串カツ。おなかをすかせた部員たちの箸は止まらない。「2杯目いきます」。1人が席を立って厨房(ちゅうぼう)へ。次々と自らどんぶりに白米を盛っていく。

 デザートのスイカまで約30分。「ごちそうさまでしたっ」。手を合わせ、満足げに部屋に戻る。

 同校の学区は全県にわたる。遠方の生徒向けに寮があるが、部屋不足を補うために一部の運動部は市内に下宿先を持つ。野球部は69人で19人が下宿生。このうち12人を萬福軒の小野さん一家が受け入れている。隣で青果店を営む了一さん(78)が仕入れ担当。「しっかりといい物を食べて、体を作ってもらいたい」と肉や魚を市場で探す。調理は妻の久子さん(71)と店主で次男の匡範さん(48)が担う。スープの仕込みの合間に部員向けの献立を考える。

 試合前には体力がつくようボリュームのある肉料理、学校の試験前は消化のよい魚料理を用意する。「家庭料理と同じ」と久子さん。リクエストに応じて時にラーメンも振る舞う。

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 玉野市は宇高航路の本州側の玄関口で造船業で栄えた港町。その担い手だった三井造船の関連企業などでつくる草野球チームが多く、少年野球も盛んだったという。了一さんもかつて移動販売車で取引先を回っていた時、バットとグラブを積んでいた。

 久子さんは高校時代、ソフトボールをやっていた。匡範さんも少年野球の経験者。「大舞台を目指して厳しい練習を続けている子ばかり。応援しない理由はない」と了一さん。下宿代は取るがもうけは度外視。一家総出で支援を惜しまない。

 特別な思いがあった。

 1997年6月、長男の光永さんが交通事故で他界した。24歳。高校時代は地元の玉野商軟式野球部で副主将だった。歯科技工士として身を立てるただ中での不幸だった。

 一家は落ち込んでいた。1年ほどたったころ、親戚が玉野光南の職員を連れて店を訪れた。部員向けに下宿を始めてほしいと頼まれた。野球を通じて元気を出してほしい、と親戚は願っていたのかもしれない。よその子を預かった経験もなかったが「息子が引き合わせてくれた」と家族で思いが一致した。

 店の裏の平屋建ての住まいに2階を設け、4部屋を増築。一家は店の2階に移り、99年から受け入れを始めた。

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 部員たちが遠征する朝は、午前4時に起きておにぎり弁当を用意する。帰りが遅くても夕食は作りたてを出す。生活態度が悪い子を正座させ、「実家に帰るか」と諭したことも。「うちにいる以上、わが子です」と久子さんはいう。

 下宿長を務める安良田侑輝君(3年)は備前市出身。洗濯や掃除などが習慣になり「当たり前のことができていないと注意される。それがありがたい」。瀬戸内市生まれの黒住涼太君(同)は「肉と野菜のバランスがよくて食べやすい」と体作りへのサポートに感謝を忘れない。

 商店街は活気を失うばかりだが、了一さんは「野球で玉野を元気に」と願う。今春までに102人が萬福軒を巣立った。「みんな長男の生まれ変わりで地域の宝だ」という。

 球児が一家も地域も元気にする。そう信じて親代わりの生活は続く。(小沢邦男)