殺(や)らねばこちらが殺られる。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、源頼朝に仕えた御家人たちの抗争を時に重たく、時に滑稽に描いている。だが、苦境をともに乗り越えた仲間が簡単に裏切られ、血を流す様子にもやもやした思いを抱く人も多いのではないか。そこで鎌倉時代に詳しい歴史研究者の細川重男さんに聞いた。鎌倉時代の武士はどうしてこんなに非情なの?
ほそかわ・しげお 著書に『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』など。
――歴史研究者として「鎌倉殿の13人」をどう見ていますか。
毎週日曜にまず午後6時からBSで、その後8時から総合テレビでも見ています。非常に面白いです。
――どんなところを評価しますか。
源頼朝が鎌倉殿だったころの鎌倉という都市とそこに生きる御家人をうまく表現しています。時代の空気感と言いましょうか。
御家人というのは荒くれ者で田舎者なんです。上総広常が、本当の言葉の意味も知らずに頼朝を「ぶえい(武衛)」と呼んでいましたね。かなり大げさでしたが、うまいエピソードを作ったと思います。御家人は基本的に教養がありませんから。
教養といえば、こんなエピソードがあります。承久の乱(1221年)の時のことです。(北条義時の子である)北条泰時率いる軍勢に後鳥羽上皇から文が届きました。しかし泰時も含め、誰も文字が読めません。困っていると「藤田」という御家人が現れて、読みあげます。漢文が読めただけで彼は周りから「文博士」と呼ばれるようになります。
――著書では歴史資料の文章をあえてくだけた言葉に言い換えて紹介しています。例えば頼朝の以下の言葉です。
《吾妻鏡「件の男は斬罪に行うべきのよし下知しおわんぬ。今に現存するは奇異の事なり」》
《言い換え「そいつは『バラせ(殺せ)と、おめェに言ったはずだ。今も生きてるてのは、どーゆーこった?』」》
記事の後半では、細川さん流に北条義時を分析し、臨終の言葉まで大胆に想像します。
時代の空気感を伝えるためで…
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