魚釣島に漂着、相次いだ餓死 77年前の尖閣遭難事件、きょう慰霊祭

沖縄・本土復帰50年

伊藤和行
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 太平洋戦争末期の1945年7月3日、沖縄県尖閣諸島近くで、石垣島から台湾へ疎開中の住民約180人が乗った船2隻が米軍機に銃撃される事件があった。「尖閣列島戦時遭難事件」といわれる。1隻は魚釣(うおつり)島に漂着したが、餓死した人もおり、犠牲者は80人あまりにのぼった。事件から77年となる3日、石垣島の慰霊碑前で遺族らが慰霊祭を行う。

 77年前の沖縄戦は、6月23日に日本軍の組織的な抵抗が終わったとされる(22日説もあり)。だが、散発的な戦闘は各地で続き、米軍の上陸がなかった石垣島などでは、日本軍の命令で住民の疎開が続いていた。

 45年6月30日、お年寄りや女性、子どもらを乗せた2隻が台湾に向けて出港したが、7月3日午後2時ごろ米軍機に見つかり、機銃掃射を浴びた。1隻は沈没し、もう1隻は魚釣島に漂着した。

 魚釣島では百数十人が木の実などを食べて40日以上過ごした。自分たちで造った小舟で9人が脱出して石垣島に救助を求め、100人超が生還できたが、餓死者も多数いたといわれる。

 生還者たちはその後、体験をあまり語らなかった。77年が経ち、事件を知る人は少なくなっている。一方で近年は尖閣諸島の領有を主張する中国との摩擦が激化し、生還者や遺族とは無関係の島外の人たちによって慰霊祭が開かれたこともあった。

 曽祖父母を亡くし、生還したおばの手記などから記録集づくりをした遺族会の事務局長・山根頼子さん(66)は「逃げる住民でさえ犠牲になるのが戦争。生還できた人も心に一生の傷を負う。二度と繰り返してはいけない」と話す。(伊藤和行)