第11回88歳クリーニング師 20年ぶりワイシャツ値上げ「もういいかな」

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中村瞬
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 東京・三鷹にある、一軒のクリーニング店。午前8時半、菅野三郎さん(88)はいつものようにシャッターを開ける。

 しわのないシャツに、センタープレスの入ったズボン。「ご主人がいつもきれいなシャツを着ているから」と依頼する客もいる。服装へのこだわりは、自身の仕事を示すためでもある。

 毎朝7時に起床し、午後6時半まで店に立つ。休みは日曜だけだ。住宅も兼ねる店舗で開業して62年。以前よりは落ち着いたとはいえ、多忙な毎日だ。

 朝の仕事は、預かった衣類に顧客の名前のタグをつけるところから始まる。伸びた背筋、しなやかな動きは、年齢を感じさせない。

 6月、20年以上据え置いてきたワイシャツの価格を一気に50円引き上げ、300円にした。大幅な値上げを決めたのは、原油高やコロナ禍だけが理由だけではない。

 「先立たれた女房の分まで頑張ろうってやってたら、この年齢になってました。でも、そろそろ区切りをつけようかなと思ってまして」

バラック造り、3畳一間の相部屋で

 中学を卒業後、おばの紹介で上京し、見習いの「小僧さん」として修業を始めたのは1951(昭和26)年。郷里を離れて70年以上になるが、ぼくとつとした言葉に故郷のイントネーションが残る。

 1934(昭和9)年、福島県安達郡下川崎村(現在の福島市)の農家に生まれた。三男で7人きょうだいの3番目。物心ついた頃から「早く自立しなければ」と思っていた。

 修業先のクリーニング店は三鷹にあった。「国鉄三大ミステリー」の一つ「三鷹事件」が起きて2年が経ったころ。なんとなく、街に暗い空気が残っていた。

 店はバラック造りの建物。与えられたのは3畳の一室で、もう1人の小僧さんと相部屋だった。

 最初の2年は無給で、月1千円ほどの小遣いのみ。朝6時半から夜9時半まで働いた。繁忙期はさらに遅くなる日もあった。

 「学歴もないし、簡単に他の仕事が見つかる時代じゃなかったからね。一人前になって故郷に錦を飾るんだ、ただそういう気持ちでした」

 国家資格の「クリーニング師」の試験は、1回で合格した。

自身の大病と、妻との別れ

 1960(昭和35)年、26歳の時に独立。修業先の店で同僚だった同郷の女性と結婚し、夫婦二人三脚で店を切り盛りする日々が始まった。

 オフィス勤めの仕事着はスーツにネクタイが一般的だった時代。周辺人口の増加に伴い常連客も増えた。ワイシャツだけで毎週200枚を超えた。店の近くに、太宰治も利用していたという銭湯があった頃は、夜9時まで店を開けた。

 独立から10年後の1970年、実家の父を関西旅行に招待した。東海道新幹線に乗って大阪へ行き、万博を楽しんだり、京都で五山の送り火を見たりした。ちょっとは親孝行できたかな、と思えた。

独立し、妻と二人三脚で仕事に励む日々。しかし、自身の大病や妻の他界など、苦境を迎えます。社会の変化に揺さぶられながら、「クリーニング師」としてのこだわりや、この年齢まで働き続けてきた思いについて話しています。

 60歳でがんを患った。長期入院したが、幸いにも完治して復帰できた。「人生で一回くらいはみんな大病するもんかな、くらいに考えてました」

 最も苦しかったのは、その数…

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