自信ない選手と甲子園経験ある指導者 弱小校・町田工を支えたSNS

狩野浩平
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 工業高校といえば、元気の有り余った生徒が集まる男くさい世界――。「そんなイメージは昔話ですよ」。町田工(東京都町田市)の小松雄一監督(39)は苦笑した。

 甲子園にも出場するような強豪校を離れ、2019年秋に町田工野球部を預かった。そこで見たのは、野球にも勉強にもいまいち自信が持てない、まじめでおとなしい部員たちだった。部員は一時5人にまで減り、20年夏の全国高校野球選手権西東京大会は連合チームとして出場した。ガッツあふれる指導者と、あまりピンとこない選手たち。次々に「辞めたい」と言い出す選手たちの思いを、ある試みがつなぎとめた。

 第104回全国高校野球選手権東・西東京大会が7月9日に開幕する。主役はコロナ禍の3年間、野球に打ち込み続けてきた球児たちだ。折れそうになる心を支え、突き動かしてきた「Motive」(原動力)は何なのか。思いを尋ねて回った(選手名は原則として敬称を略します)。

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 梅雨も盛りの6月半ば。雨でグラウンドが使えず、室内で地味な筋力トレーニングを強いられる選手たちの顔はしかし、空模様と対照的に明るかった。「しっかりやりきろう」。主将の井上朝斗(3年)が仲間たちを鼓舞した。

 堂々としている井上だが、野球への意欲が切れかけた時期があった。

 家族の影響で中1から野球を始めた。軟式野球は楽しかったが基本が未熟で、ボールの投げ方も心もとなかった。「高校野球、かっこいいなあ」というあこがれから、高校でも野球部に入った。

 コロナ禍による休校が明けた20年夏、経験のない捕手への転向を命じられた。3年生の引退後、小松監督のマンツーマン指導が始まった。

 軟式と違って硬式の球は受けると痛く、怖い。「ボールをそらすな、身体で止めろ!」と怒鳴る監督も怖い。その声がちくちくと心に刺さり、うっとうしく思えた。秋に入る頃、野球を辞めたいと監督に告げた。

 小松監督「なんでだ?」

 井上「高圧的な雰囲気がいやなんです」

 小松監督「なぜ俺が怒るのか、わかるか?」

 井上「さあ。僕のことが嫌いなんだと思います…」

 小松監督は頭を抱え、何度も伝えた。「お前のことが本当に嫌いなら口もきかない。怒るのは、お前に期待しているからだ」。思いが伝わらないことが悔しく、涙が出そうだった。

 小松監督は以前、東東京の強豪校・安田学園で、助監督などとして10年以上指導した。13年には春の甲子園も経験している。部員たちは野球への志にあふれ、指導者が多少突き放しても粘り強く食らいついてきた。

 町田工は違った。部員は純粋だが自信がなく、突き放すと本当に離れていってしまう。下手でも褒めて伸ばすことが必要だと感じた。

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 19年11月、小松監督は新しい試みとして町田工野球部のツイッターを始めた。最初のツイートではこうつづった。「弱小チームがどこまで強くなるか。その記録のために始めました! みなさん、応援宜(よろ)しくお願いします!」。広報だけでなく、部員たちの頑張りを発信して自信を持ってもらいたいという思いだった。

 井上の練習動画も投稿した。「野球はキャッチャーで決まる! それくらいの責任感が必要な重要なポジション!」。次第に「成長したね」「うまくなってるじゃん」といったコメントがつくようになった。アカウントは1700人以上のフォロワーを集めている。

 井上や他の部員もコメントを読んでいる。「褒められることは少ないからうれしい」。やる気を取り戻した井上に、小松監督は主将を任せた。すると指示待ちだった井上が率先して練習に取り組み、仲間に指示を出すように。コロナ禍で練習が制限されるときも1日200回近い素振りに取り組み、後輩の手本となった。

 小松監督は井上ら3年生を見ながら、「自分のことしか考えていなかった子どもが、他人のことを考えられるようになった。すごい成長です」と目を細める。井上の最後の夏の目標は、監督とツイッターのフォロワーに勝利をプレゼントすることだ。「自分たちの成長した姿を見せ、いい報告をしたい」と照れくさそうに笑った。(狩野浩平)

練習、安心して任せられた

 小松雄一監督(39) 指導者は自分1人だけで、正直言って目の届かないところもあった。それでも3年生が自分で課題を見つけ、練習に取り組んでくれたから安心して任せることができた。あきらめず、めげずに続けてきたことを、夏の勝利につなげよう。