見て、使って、考えてもらう報道へ データジャーナリズムの可能性

[PR]

メディア空間考 伊藤大地

 大量のデータを可視化、分析し、埋もれていた事実に光を当てる。データを使った報道、データジャーナリズムは今や、デジタルニュースの世界において欠かすことのできない表現手法として定着しつつある。

 朝日新聞でも、これまで行政の発表では明らかにされなかった、名前のない交差点で事故が多発していることを可視化した「みえない交差点」など、様々な挑戦を続けている。

 データジャーナリズムという言葉は2010年ごろからニュース業界で流行したが、定着するのには長い時間を要した。私も古くから、挑戦しもがいていた当事者として、なぜ時間がかかったのか、思い当たる節がある。

 その理由のひとつは制作体制だ。大量のデータを取得し、整理し、可視化するには、エンジニアやデザイナーとの共同作業が欠かせない。人員配置が「文字」に偏りすぎていた報道現場では、実現が難しかった。

 もうひとつは、手段が目的にすり替わり、読者が置き去りになっていたことだ。データ分析界隈(かいわい)で、こんな小話を聞いたことがある。「私たちが持っているビッグデータによれば、洋服のサイズはS、M、Lで8割方、カバーできることがわかりました」。みんながなんとなく知っている当たり前の話が、もっともらしく語られている。「カッコいいデータ報道を」とばかり考えていた私には耳が痛かった。

 服のサイズの小話と「みえない交差点」の違いは何なのか。前者は既に解決された問題の再発見、後者は存在していたのに可視化されていなかった問題を掘り起こし、問題解決につなげるという点で大きく異なる。「みえない交差点」では、読者自身が調べられるよう、朝日新聞デジタル内に事故状況、発生時間帯、信号の有無などを検索できる機能も設けている(https://www.asahi.com/special/jiko-kosaten/)。

 結局、大事なのは最終的な形が読み物であろうが、ツールであろうが、データ分析や可視化を通じて、読み手にどのような価値を届けるのかということだ。その視点がなければ、ただの作品自慢、新しもの自慢になってしまい、読者には響かない。

 なぜ、データを使うのか。はやりだからではない。様々な誤情報がネットに飛び交い、メディア不信が高まる今だからこそ、データを起点に問題を提起していくことには新たな価値があるはずだ。

 スマホで、SNSで発言する読者は、単なる受け身の存在ではない。「読んでもらう」だけの報道から、「見て、使って、自分で考えてもらう」報道へ。データジャーナリズムの可能性は、そこにあると今は確信している。

     ◇

 いとう・だいち 2001年にインプレスに入社し、記者として携帯電話業界やネット業界を取材。13年からハフポスト日本版でデータを用いた報道に携わり、BuzzFeed Japan副編集長や同Entertainment編集長を務めた。20年11月に朝日新聞に入社。21年4月から朝日新聞デジタル編集長。ツイッターは@daichi