コロナ禍で感じた「島の宿命」 強豪中から戻った大島主将の最後の夏
海を越え、都心から約120キロ南の伊豆大島。大島(東京都大島町)の広々としたグラウンドでは、野球部がちょっと珍しい練習に取り組んでいた。
選手たちが投手と一塁の守備位置に分かれて並ぶ。チームで20年以上指導する植松豊・助監督(70)がノックバットで一塁へゴロを打つ。「ファースト!」。ダッシュして捕球し一塁へ送球。マウンドにいた選手が一塁ベースへ走り、送球を受ける。この連係プレーを並んだ選手が順番に繰り返す。一巡したら、次の連係プレーのノックへと移る。
大島の伝統メニューだ。部員は例年十数人。どこでも守れるように、各守備位置でノックを受け、連係プレーの動きを体で覚えるという。島と都心を結ぶジェット船や飛行機は1日2往復で、遠征には宿泊が必須となり、他校との練習試合は頻繁にはできない。それは「島の宿命」(植松助監督)。「島の学校」ならではの対策だ。
第104回全国高校野球選手権東・西東京大会が7月9日に開幕する。主役はコロナ禍の3年間、野球に打ち込み続けてきた球児たちだ。折れそうになる心を支え、突き動かしてきた「Motive」(原動力)は何なのか。思いを尋ねて回った(選手名は原則として敬称を略します)。
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それでも「本土」の壁は厚い。6月中旬、約2カ月ぶりの練習試合に挑んだ。うち1校は桐朋。2年前の秋季大会でコールド負けした相手だ。結果は6―10で敗北。併殺で失敗したり、牽制(けんせい)でアウトになったり……。練習試合で課題がいくつも見つかった。試合後の練習で、主将の高橋駿介(3年)が集まった選手に指示した。「エンドランのサインが出たら、絶対に1球で仕留めよう」
高橋はチームで唯一島外の中学に進学した。軟式野球の強豪・駿台学園中(東京都北区)。レベルの高い環境は刺激的だった。だが中学2年の時、神宮で見た大島の試合に感動し、決心した。「高校野球は大島でやるぞ」
2018年の東東京大会3回戦。相手は駿台学園だった。高橋は学園側のスタンドにいた。大島は選手11人で戦っていた。エースは足をつりながらも投げきり、1点差で競り勝った。「少ない人数でどんな練習をしているんだろう」と気になった。もう一度、昔の仲間と野球がやりたいという思いもあった。
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ところが、島に戻って高校に入学したとたん、コロナ禍で部活動が休止に。強豪校に進んだ友人からは「練習が始まった」とLINEが来た。「差が開いてしまう」と焦りを感じた。
都立高校では宿泊を伴う活動に制限がかかった。かつては長期休暇になると、島で合宿する学校と合同練習や試合を行う機会に恵まれた。大島も大型連休から夏の大会直前までは頻繁に遠征していた。それも難しくなった。
部活ができない期間は島内の球場を借りて、少人数でキャッチボールをしたり、野球部OBにノックをしてもらったりした。島民からは「早く練習ができるといいね」と応援してもらった。
昨夏は3回戦でシード校の大森学園に0―5で敗れた。今年の目標は「シード校に勝つこと」。ノックの量は約2倍に増え、打撃練習のみの日は1千スイングをノルマとした。ポジション争いをする仲間はいない。「でも、だからこそ自分自身との戦い」。選手同士で励まし合い、厳しい練習に耐えた。
高島凱哉(ときや)監督(23)は強豪・日大鶴ケ丘出身で、熾烈(しれつ)なポジション争いも経験した。島のチームを指導するのは初めて。「小さいころから一緒に野球をやってきたというのは強み。あうんの呼吸が整っている。試合のたびに強くなる」
高橋にとって最後の夏だ。「大島を選んだことは後悔していない」と言い切った。幼なじみの島の仲間となら、どんな時も本音でぶつかり合える。アウト一つで全員が全力で喜べて、全員で一つのチームを作り上げていると思える。そんなチームが好きだから。(本多由佳)
島民への感謝、プレーに
大島の高島凱哉監督(23) 練習試合がなかなかできず大変な時期もあったけれど、シード校に勝つことを目指して冬の厳しい練習にも耐えてきた。いつも応援してくれる島民への感謝の気持ちをプレーに変えて、最後まで「大島の野球」を貫いていこう。