私は4年赤服を着た、はるかなオーストラリアの荒野で 日記を英訳

有料会員記事

編集委員・永井靖二
[PR]

 太平洋戦争の開戦とともに連合国に抑留され、敗戦後までオーストラリアで収容所暮らしを強いられた日本人銀行駐在員の日記が英訳され、豪州国内で出版された。没収を恐れ、細かな紙片に書きつづられた収容中の日常はどんなものだったのか。

 英訳されたのは、古池(こいけ)三八勝(みやかつ)さん(1905~98)が87年に自費出版した「抑留日記 四年間の赤服生活」。古池さんは日本が太平洋戦争を始めた41年12月、当時オランダ領だったインドネシア・ジャワ島のスラバヤにおり、横浜正金銀行の駐在員だった。

 開戦によって「敵国人」になった古池さんら日本人は抑留され、連合国側に加わった豪州の収容所へ送られた。逃亡を防ぐため、赤く染めた古い軍服を着せられた。「赤服」だ。

 古池さんの日記は、開戦当日、現地当局に拘束される場面から始まる。行き先も知らされないまま、輸送船に乗せられた。不潔で、劣悪な食事。「地獄船」と日本人たちは言い合った。

 42年1月末に豪州に上陸した。3カ所あった日本人や日系人収容所のうち、南部のラブデー収容所まで列車で連れて行かれた。

 乾燥し、寒暖差が激しい気候のなか、収容者たちは42年8月にバラックができるまで、テントで暮らした。

 古池さんの日記では、収容者…

この記事は有料会員記事です。残り1261文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【無料会員限定】スタンダードコース(月額1,980円)が3カ月間月額100円!詳しくはこちら