中国・新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで2009年に漢族と少数民族のウイグル族が衝突した大規模騒乱から、7月5日で13年を迎えました。
ウイグル族をめぐっては、欧米諸国や国際人権団体が中国政府による人権侵害を非難する一方、中国政府は一貫して否定してきました。
新疆ウイグル自治区で何が起きているのか。問題をどう捉えるべきなのか。
著書「新疆ウイグル自治区 中国共産党支配の70年」を6月に出版したばかりの熊倉潤・法政大学准教授に聞きました。
熊倉潤(くまくら・じゅん) 1986年生まれ。アジア経済研究所の研究員を経て、2021年から法政大学法学部の准教授。専門は中国、旧ソ連の民族政策。著書に「新疆ウイグル自治区 中国共産党支配の70年」(中公新書)、「民族自決と民族団結 ソ連と中国の民族エリート」(東京大学出版会)。
――現在から振り返って、2009年7月のウルムチ騒乱をどうみますか。
いまから考えると、習近平(シー・チンピン)政権の一連の新疆政策は、ウルムチ騒乱が起点になっていると言っても過言ではありません。
7月5日にデモ行進をしていたウイグル族の学生らが治安部隊と衝突し、一部は暴徒化して漢族の商店などを襲いました。前月に広東省のおもちゃ工場で、漢族がウイグル族を襲った事件への抗議が発端だといわれています。
当局発表によると、7月5日の衝突によって197人が死亡し、1700人以上が負傷しました。
これに対し、現地の漢族が怒りを爆発させ、7月7日には漢族による抗議行動が巻き起こり、ウイグル族に報復しました。このときの死者数、負傷者数は公表されていません。
共産党政権は本腰を入れて、抜本的な対策を練る必要を痛感したはずです。それは、少数民族の不満が顕在化したことに対する危機感からだけではありません。
国民の9割以上を占める多数派の漢族側が抗議行動を起こす事態は、共産党政権の存続にもかかわるという認識だったでしょう。
衝突の後、新疆ウイグル自治区に住む漢族の存在感は大きくなり、政権は漢族に相当な配慮をせざるを得なくなります。もともと漢族側の不満が大きかった少数民族への優遇政策も進めにくくなりました。
ウルムチ騒乱の衝撃
――騒乱の当時は、胡錦濤(フー・チンタオ)政権でした。
胡政権はそれほど強力な政権ではなく、共産党にとっての課題は習政権に持ち越されました。習氏は2012年に共産党のトップに立ち、新疆問題に本腰を入れたように見えます。
ウイグル独立派によるテロを…
- 【視点】
政治の世界で「兄弟(国)」とか「親戚(制度)」とか家族のターミノロジーが使われるときには気を付けたほうが良い。たいがい、支配や抑圧を隠すための道具でしかない。 主権国家システムは、中で無秩序を抑え、外には無法な侵略を押し戻すのに有力だ