退部した球児、かつての仲間が救った 照れくさくても伝えた一言

武井風花
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 夕食が終わって午後8時過ぎになると、寮のみんなはゆったりと過ごす。練習がしんどい分、部屋にこもって家族に連絡したり、スマホのゲームをしたり。思い思いのこの時間が、いい。

 6月中旬の夜。宮城・大崎中央の中野龍(3年)がチームメートの部屋でその日の練習試合を振り返っていたら、他のメンバーも集まってきた。

 気になっていたうわさをふと思い出し、ベッドに座る加藤裕太(3年)に聞いてみた。この前の休み時間、女子と一緒にいたんだって?

 「え?」

 目が泳いでいる。加藤は明らかに動揺した。みんなの追及が始まる。「マジ?」「何やってたんだよー」

 言われっぱなしの加藤がやり返してきた。「うるさい! お前の彼女の名前叫ぶぞ!」

 ちくしょう。それは困る。周囲はゲラゲラ笑ってる。なんかちょっとむかつくけど、やっぱ楽しいわ。

 2年の春に大崎中央に転校した。その前にいた日大山形(山形市)には全然なじめなかった。転校を考えている時に誘ってくれたのが、中学時代のボーイズのチームメート、加藤だった。

 ボーイズでは打者として活躍していたから、甲子園常連校から誘いが来たときは心底喜んだ。雨でもノックができる広い室内練習場があって、甲子園を目指せると本気で思った。

 だが、入学した4月、下宿に引っ越した初日にコロナが邪魔をした。

 荷物をといて部屋でくつろいでる時に、先輩が呼びに来た。食堂に集まると、先生が「感染者が出た。県外から来た人はすぐに実家に帰って」と言ってきた。翌日、荷物をまとめて名取市の実家に戻った。

 同期約25人のほとんどは地元出身でそのまま寮生活を続けていたから、5月に戻った時は、不安で仕方なかった。もともとすごい人見知りで、取り残されてるんじゃないかって。

 不安は的中した。全体練習の後、自主練習で他の部員が自然とつくるグループに入れない。食事の時も憂鬱(ゆううつ)だった。山形の方言が聞き慣れず、ただ横で耳をそばだてるだけ。

 プレーでは守備を監督に褒められたし、そこそこやれていたと思う。でも、つまらなかった。あんなに野球が好きだったのに、グラウンドに向かう足が、日に日に重くなった。

 両親と相談して6月末に退部した。スポーツ推薦で入ってたから気まずくて、学校も8月まで休んだ。

 その頃から、ボーイズの練習に参加するようになった。監督から他のチームメートの近況を聞くたび、自分は何をしているんだろうと思うようになった。

 転校の相談をして親が探してくれたのが、加藤のいる大崎中央だった。

 加藤は小学からの同級生で、自分の後にボーイズに入ってきた。捕球の仕方なんかを教えるうちに、仲良くなった。

 その年末、久しぶりに加藤と遊ぶ約束をした。筋トレの成果か、一回り大きくなっていた。大崎中央に転校しようか考えていると伝えると、加藤は「絶対来いよ」と笑った。その後もちょくちょくやりとりをした。

 年が明けた2月、大崎中央の練習を見に石巻市民球場に行った。その時、加藤に寮生活のことを聞いた。

 「みんな元気でいい人だから、中野が来てもなじめるよ」

 そうか。

 「……待ってるから、来いよ」

 お互い緊張してぎこちなかったし、5分だけの会話だったけど、決めた。自分を待ってくれているのがうれしかった。

 春の空には雲一つなかった。荷物を背負って大崎中央の寮に向かうと、玄関の外で加藤が待っていた。きまり悪そうに「これからよろしくな」って。

 入寮して数カ月は加藤と同室で、チームメートの輪に入れるよう気を使ってくれた。

 3年になった加藤は、最速140キロ前後を投げるプロ注目のエースになった。自分は打率の高い1番打者だ。

 4月の練習試合で逆転サヨナラ勝ちを決めると、思わずベンチから飛び出し、抱き合って喜んだ。

 仲の良い仲間ともぎとった勝利こそ、最高だ。野球を楽しむのに名門かどうかなんて関係なかった。こいつらと一緒だったら、どんなにきつい練習だってやりきれる。(敬称略)(武井風花)