ロシアの侵攻の図式、かつての日本とうり二つ 盧溝橋事件の教訓とは

有料記事ウクライナ情勢

聞き手・古谷浩一
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 日本と中国が全面戦争に突入するきっかけとなった1937年の盧溝橋事件から7日で85年。ロシアのウクライナ侵攻が起きたいま、日中戦争の歴史から私たちが引き出すべき教訓とは何なのでしょうか。中国近現代史が専門で「後期日中戦争」などの著書がある愛知学院大学の広中一成准教授に聞きました。

 ――日中戦争の歴史の視点から、いまのウクライナでの戦争をどう見ますか。

 戦争はいつの時代も同じようにやるものなのだなと感じています。日本は満州事変を起こし、傀儡(かいらい)政権を打ち立てました。

 ロシアも今回のウクライナ侵攻の前にすでにクリミア半島の併合をしています。ロシアにとってクリミアは重要拠点です。港があり、あそこがとられると、ロシアに一気に敵の軍が入ってくる可能性がある。だからどうしても自分たちがとらなければいけないと考える軍事拠点なんですね。

 かつての日本にすると、まさに満州(中国東北部)が不安定だと、いつソ連が南下して朝鮮、日本に攻め入ってくるか分からない。そういう危機感がありました。だから、どうしても満州をとられたくない、守りたいという意識があって満州事変を起こしたのだと思います。

 ――安全保障上の方策として、戦略的な緩衝地帯をつくろうとの考え方ですね。

 そうです。日本は満州国だけ…

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