菊池雄星のプレーに見た野球の魅力 甲子園めざし作った「たまり場」

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 盛岡一のグラウンドの横には部室がある。用具を保管したり、着替えをしたりする場だけではなく、みんなのたまり場でもある。

 春の大会が直前に迫った今年4月。この部室で開いた昼休みの選手ミーティングを、主将の大川仁和(とわ、3年)は忘れられない。

 同じ学年の遠藤蒼生(あおい)が泣きながら言った。「大川を甲子園に連れていきたい」

 率直にうれしかったという大川はみんなに語りかけた。「全員が気持ちを合わせれば、甲子園に行くチャンスは出てくる」。「甲子園出場」という目標を、より意識する日になった。

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 大川が野球を始めたきっかけの一つは、父と一緒に行った県営野球場での高校野球だ。2009年夏の岩手大会。盛岡一と菊池雄星投手を擁した花巻東が決勝を戦った。1―0で盛岡一がリードしていた七回、菊池のスクイズをきっかけに一気に逆転を許す。「たった1回で逆転し、その流れで勝敗が決まる。面白いと思いました」

 同時に盛岡一で野球をすることに憧れた。盛岡で生まれ、県営は自宅の近く。自転車で高校野球を見に行っていた。「地元で甲子園を決めたら、かっこいいだろうなって。私立を倒したい気持ちもありました」

 1年の夏にはベンチ入りを果たし、学年のリーダーにも指名された。監督の川又範明に「この代は引っ張ってくれ」と託された。

 毎日、朝も昼も個人練習を欠かさなかった。帰宅してからも、必ずバットを振った。「振らない日はありません。決めてるんです」

 しかし、新チームが始動した昨年の秋。主将として挑んだ初めての大会は、盛岡地区予選で2連敗。わずか3日で大会は終わった。

 自分たちを見つめ直した。朝、登校に遅れる部員がいるなど、生活面に緩みがあったと気づいた。「日常生活から正していこう」と、みんなに呼びかけた。

 打撃力の向上にも努めた。冬場の練習で、スイング速度を意識した。1人ずつ計測し、ひたすら食べて体を大きくし、バットを振った。時速130キロ以上の選手は秋に4人だったが、2月の終わりには12人に。大川も130キロを超えた。

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 今年の3年は16人。月曜のミーティング以外も、よく部室に集まる。毎日一緒に昼の弁当を食べ、食べたあとは、そのままみんなで自主練習をするのがお決まりのパターンになった。

 月曜のミーティングは大川の提案で始まった。「全員の意見を聞く機会をつくりたい」と思ったからだ。

 2、3年生が部室に集まり、弁当を食べながら週替わりで誰かが話をする。内容は自由だ。試合の反省をする人もいれば、好きな言葉を発表する人もいる。睡眠に関する論文を読んで、紹介した選手もいた。「野球は技術的なところだけではない」と気づくにつれ、プレー自体も良くなった。

 大川の姿を仲間は見ていた。「大川を甲子園に連れていきたい」と涙を流して訴えた遠藤に理由を聞いた。すると「わからない。自然に泣いていました」と照れ笑い。でも、こう思う。「1年のときから頑張ってるのを見てたから。意識が低くなりがちな冬とか、どんなときでもあいつは手を抜かないんです」

 岩手大会が開幕する8日は、偶然にも大川の誕生日。「運命感じました」と大川は笑う。そして、部室で一つになった面々を思い浮かべ、言った。「今まで仲間に助けられてきて、誰ひとり欠かせない存在。みんなで勝ち上がっていく」

 部室の壁にかかるカレンダーに、部員が習字の授業中に書いたという言葉が記されていた。「甲子園」

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 全国高校野球選手権岩手大会が8日に開幕する。それぞれの目標に向かって白球を追う球児たちには、大切な場所、前に進むきっかけになった場所がある。(敬称略)