やんちゃだった高校時代 あの名監督がランニングで見せた意外な一面

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構成・安藤嘉浩
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 中村豪さん(80)が1978年秋に名古屋電気(現・愛工大名電=愛知)高校の野球部監督になった翌年春、工藤公康さん(59)が入学してきた。

 「あの学年はいい選手が多くて、3人がドラフトで指名された。これは甲子園に行けるかもしれんと思ったね」と中村さんは振り返る。

 うちに来ると最初に決めてくれたのは、山本幸二(58)やった。地元では有名な大型捕手で、ドラフト2位で巨人に指名された。

 こいつに見合う投手はおらんかなあ、と思って出かけた中学生の大会で、工藤を見たのよ。

 いい球をほうっていたね。当時からカーブがよかったよ。うちに来てくれんかなあ、と思ったら、来てくれた。うれしかったね。当時は中京(現・中京大中京)、東邦、享栄が絶対的な存在で、いい選手はなかなか名電に来てくれなかったからね。

 さらに中村稔(58)も来てくれた。あいつは日本ハムからドラフト3位で指名されたのかな。その後は長くプロ野球で審判員をしとったね。1学年下には高橋雅裕(58)がおって、中村と二遊間を組んだ。高橋もドラフト4位で大洋(現DeNA)に入って活躍したから、なかなかのメンバーだったわな。

 ただ、工藤は口が達者で、ひと言多かった。入学早々に先輩が理不尽だと言って、仲間と一緒に寮を脱走したことがあった。

 先輩に目をつけられるタイプだわ。だから、3年生の鴻野淳基(61)と同じ部屋に入れて、「面倒を見たってくれ」と話した。

 放課後は学校からグラウンドまでの13キロを、毎日走らせた。マイクロバスで先輩と一緒に移動するより、いいと思ってね。

 あいつはそれを18歳の誕生…

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