突然40度の高熱…選んだマネジャーの道 強豪・横浜で目指す甲子園

土居恭子
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 神奈川大会開幕を目前に、昨夏甲子園に出場した横浜のグラウンドでは選手たちが実戦を想定した練習に取り組んでいた。

 総勢71人の大所帯。誰もが白球を追うなかで、選手の飲み物を用意したり、ライン引きの道具を運んだりとせわしなく動いているのはマネジャー3人だ。そのうちの1人、瀬井雅貴さん(3年)は「日頃から練習が円滑に、指導者たちが楽にできるようにどう動くか考えています」と語る。

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 瀬井さんもかつてはプレーヤーだった。野球をはじめたのは小学4年。巨人の坂本勇人選手に憧れ、同じ遊撃手になった。中学でも続け、当然、高校でも選手として野球部に入ろうと思っていた。

 しかし希望とは裏腹に、中学2年の年末にその「当然」が絶たれてしまう。突然40度の高熱に襲われたのだ。最初は原因が分からなかったが、入院すると心臓の病気であることが判明。医師からは「長距離を走ることは難しい」と告げられた。今まで通りの部活動はできなくなった。

 野球部では長距離走以外で、自分にできるトレーニングを続けた。ただ、医師には野球より負荷が小さい競技を勧められた。

 高校でも野球を続けるのか。結論は「やっぱり野球に関わりたい」。両親と話し合い、マネジャーになることを決めた。

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 入学したのは強豪校として全国に知られる横浜。父もかつて在籍し、プレーした学校だ。小学生のころ、横浜スタジアムでの試合を観戦したこともあり、「横浜でやりたい」と思った。

 マネジャーとなって任された仕事は部室の片付け、ノックの球出しなど。選手と同じ野球部員でも内容がずいぶん違う。部内のきまりで3年のマネジャー1人は必ず寮に住むことになっており、瀬井さんはその役を任された。

 試合の日は、前日に料理担当者が下準備をした食材で25人前の朝食を作ることもある。春季大会の期間中は午前3時半に起床し、大きな炊飯器二つを使ってご飯を炊いた。つらかった。でも村田浩明監督に「ありがとう」と声をかけられ、報われた気がした。

 現在も通院しているが、運動制限はなくなった。つまり、選手としてプレーすることもできる。率直に「最初は選手をやりたいと思っていた」と語る。しかし、マネジャーをやるうちにその気持ちは薄れていった。レベルの高いプレーを間近で見て自分自身は「選手としては厳しい」と思ったこと、そして、マネジャーの仕事にやりがいを見いだしたからだった。

 特にやりがいを感じるのは選手を精神的にサポートできたときだ。あるとき、野球部を辞めたいと言った同級生の選手がいた。監督から注意を受け、落ち込んだ様子だったという。瀬井さんは「自分みたいに野球をしたくてもできない人もいる。最後まで頑張ってほしい」と伝えた。話を聞いた選手は「うん」と言っただけだったが、退部せずに続けているという。

 どんな状況になっても関わっていたかった高校野球も、この夏で一区切りだ。最後の夏、瀬井さんはベンチでスコアラーを務める。「自分は裏方に回って、甲子園へ行きたい」。一番グラウンドに近い場所で選手と一緒に戦う。(土居恭子)