ジョンソン首相の辞意を、ウクライナの多くの市民は驚きと悲しみをもって受け止めた。この国で、ジョンソン氏は絶大なる人気を誇るからだ。
英機関が6月に公表したウクライナでの世論調査によると、政治家としての人気は、ゼレンスキー大統領の93%に次いで、ジョンソン氏が90%の支持を得た。バイデン米大統領は89%、マクロン仏大統領は42%だった。
南部オデーサ近郊のフォンタンカ市は4月、ソ連の詩人の名にちなんだマヤコフスキー通りを「ボリス・ジョンソン通り」に改名すると決定。オデーサ市は今月1日、ジョンソン氏に名誉市民の称号を授与すると表明した。
ウクライナ支援に関するジョンソン氏の立場は明確だった。対ロシア最強硬派として侵攻を厳しく批判。ウクライナへの武器供与の先頭に立ち、兵士の訓練も受け入れた。首脳としては異例となる2度のキーウ訪問も果たした。特に4月の最初の訪問の際には、まだ安全確保への心配が残るキーウ市街をゼレンスキー大統領とともに練り歩き、その映像は多くの市民の称賛を受けた。
2度目のキーウ訪問、パフォーマンスと招いた疑念
ジョンソン氏は7日の辞任表…
- 【視点】
4月9日のジョンソン首相による最初のキーウ訪問は、今般の戦争、それをめぐる国際関係の潮目を変えたと言えるほど、転機になったと思う。 戦時下の国の首都を訪れて、首脳会談をやるだけでも、大きな意味がある。ところが、ジョンソン首相の場合は、誰の