森鷗外、死の3日前の遺言状原本を公開 「肩書ない、一人として」

本間ほのみ
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 森鷗外(1862~1922)が亡くなる3日前に残した遺言書の原本が、森鷗外記念館(東京都文京区)で展示されている。毎年、鷗外の命日7月9日に合わせて特別公開される。

 記念館によると、鷗外は1922年春ごろ体調を崩し、6月半ばには自宅で伏していた。遺言書は7月6日、東大時代からの親友で医師の賀古鶴所(かこつるど)を呼んで口述筆記させたという。

 遺言書には「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と記してある。森林太郎とは鷗外の本名で、石見とは島根県を指す。鷗外は同県津和野町の出身だった。鷗外は東大を卒業後、陸軍省に入り、陸軍の軍医総監や陸軍省医務局長など高いキャリアを積んだ。だが、自身の原点である「石見人」としたことから、「あらゆる肩書を外した、一人の人間として死にたい」という思いがあったと読める。さらに、「森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス」とも記していた。

 今年は没後100年を記念し、賀古に宛てた手紙や、通夜で永井荷風らが書いた「哀悼寄書」も合わせて展示されている。賀古への手紙は5月26日に書かれたもので、「僕ノ命ガ著述気分ヲステテ延ビルカドウカ疑問デアル」などと、医者の診察を拒む理由がつづられている。

 特別公開は31日まで。休館日は26日。観覧料は一般600円。(本間ほのみ)