甲子園が決まったら、右手で握手しよう エースと主将の不思議な約束

西崎啓太朗
[PR]

 「甲子園が決まったら、右手で握手しよう」

 水戸商のエース平山颯士(そうし)君(3年)は、茨城大会を前に鯨岡遼雅(りょうが)主将(3年)と不思議な約束をした。

 2人は時々、握手をする。仲直りしているわけでも、感謝を伝えているわけでもない。平山君は「ふざけて、なにげなく握手しています」と笑う。

 握手するときは左手で、と決めている。平山君は、バレーボール選手だった父の験担ぎにならい、左足から野球のスパイクやソックスをはくことにしている。「左手での握手も、この影響かもしれません」

 2人とも中学のとき、軟式野球の県選抜メンバーに選ばれた。平山君は日立市、鯨岡君は高萩市の出身。地元が近いこともあって、仲良くなった。中学3年の秋、県選抜の練習の帰り道に、平山君と鯨岡君は水戸商に行く約束をした。

 鯨岡君は、1年の秋から先発メンバーの二塁手として試合に出た。しかし、スイング動作を繰り返しすぎて冬に右の手のひらを骨折し、手術した。

 右手の握力は、45キロほどあったが19キロまで落ちた。ボールを投げても、すっぽ抜けてしまい、バットも全く振れなかった。

 2年生の6月まで、全体練習の一部にしか加われない日々が続いた。「部員との距離も感じて、苦しかった」

 それでも、できることを探した。校舎のコンクリート壁に球を投げては捕る「壁当て」だ。「守備力を基礎から磨きたい」と思い、全体練習が午後7時に終わった後も2時間ほど黙々と続けた。

 その横で、右投げの平山君は、鏡を見ながら、右腕を振るシャドーピッチングを繰り返した。1年秋から公式戦では投げていたが、エースをめざした。

 自主練習が終わると水戸駅まで自転車をこぎ、2人で午後9時25分発の常磐線に飛び乗る。そんな日々が続いた。

 「元気出せよ。焦らなくて大丈夫だよ」。列車内で平山君は、鯨岡君を励まし続けた。

 つらい時期をくぐり抜け、新チームになった。2人の記憶に残る試合がある。秋の県大会4強の実力校、下妻一との春の県大会2回戦だ。

 大会前、ベンチ入りメンバーを誰にするかで、もめていた。監督に託され、最終的にメンバーを決めたのは、鯨岡君だった。そのぶん責任の重さを感じていた。「自分がしっかり結果で示さないと」

 平山君は試合前、鯨岡君を励ました。「自分がなんとか抑えれば勝てるから大丈夫。遼雅なら、なんとかなる」

 だが、鯨岡君は結果を求めるあまり打撃不振に。五回表1死一、三塁の好機で打席に立ったが、併殺に打ち取られた。

 冬の筋力トレーニングが実り、最速140キロ超の直球を投げられるようになった平山君は、味方の1点を守り切って完封勝利した。

 試合後のベンチ裏、鯨岡君は平山君に抱きつき、泣きながらつぶやいた。

 「よかった。よかった」

 「だから言っただろ。なんとかなるって言っただろ」。平山君は、鯨岡君が抱えていた重圧を思い、驚きながら応じた。

 この夏、がっちりと右手を握り合うという夢が、まだ残っている。

 エースになるために腕を振り続けた。けがを乗り越えるために壁に向かって投げ続けた。右手には2人の高校野球が詰まっている。

     ◇

 第104回全国高校野球選手権茨城大会が9日、開幕した。球児たちは、野球と向き合うがゆえに、いくつもの壁にぶつかった。それを乗り越えた先に、何を見つけたのか。(西崎啓太朗)