ボロボロのモネの「睡蓮」、世界遺産の真下に 今鑑賞できる奇跡の絵
JR上野駅(東京都台東区)の公園口から歩いてすぐ。西洋美術の殿堂にして、世界文化遺産の国立西洋美術館(西美(せいび))の本館と前庭が見えてくる。
この春、1年半ほどの休館を経て、リニューアルオープンした。1959年に開館した西美はいま、前庭が当時の姿に近い状態に戻り、多くの来館者が訪れている。
この美術館を語る際、2人の人物の存在が欠かせない。1人は実業家の松方幸次郎(1866~1950)。そして、もう1人はモダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887~1965)だ。
まずは松方幸次郎の話から始めよう。
帰ってきた「松方コレクション」
「フランス政府から返還された『松方コレクション』の絵画、彫刻、美術関係図書など376点を積んだ日本郵船の『浅間丸』が1959年4月15日、横浜港に到着。17日朝、東京・上野の国立西洋美術館に運び込まれ、荷ほどきが始まった。川崎造船社長だった故松方幸次郎さんが10年代後半から20年代初めにかけて、欧州各地で集めた美術品。フランス側によると総額は3億4000万フラン(約2億5000万円)。写真は、絵画の最初に開けたケースから出てきたルノワールの『帽子の女』」
59年5月3日号のアサヒグラフは、「帰ってきた松方コレクション 横浜・東京」と題した写真特集を掲載した。そこには、フランス印象派のルノワール「帽子の女」を、当時の富永惣一館長が感慨深げに見つめる姿があった。
「松方コレクション」は流転の歴史をたどった。
時は100年前。神戸の川崎造船所(現・川崎重工業)社長を務めた松方は、第1次世界大戦の船舶需要で得た巨万の富を投じ、主にロンドンとパリで西洋美術品を買い集め、一大コレクションを築き上げた。その数は約3千点と言われる。
だが、コレクションは散逸の道をたどる。戦後の不況のなか、関東大震災、金融恐慌、川崎造船所の破綻(はたん)など苦境が続き、日本にあった作品は売り立ての対象に。ロンドンの倉庫に保管していた作品は火災で焼失してしまう。
フランスに預けた作品は第2次世界大戦後、敵国財産としてフランス政府に接収された。その後、約370点の寄贈返還が決まる。条件の一つが作品を所蔵する美術館を建設することだった。
日本初の西洋美術館をつくる――そんな夢の実現を目指した松方だった。だが、50年に亡くなる。美術館の開館を目にすることなく、この世を去った。
美術館が開館、「人気ふっとう」
松方幸次郎とル・コルビュジエ。西美の誕生にはこの2人の存在が欠かせません。記事後半では、松方コレクションと世界文化遺産のその後を取り上げます。展覧会の観覧者数トップ10も紹介。朝日新聞フォトアーカイブ(https://photoarchives.asahi.com/)収録の写真とともに、西美の歴史を振り返ります。
曲折の末に、松方コレクショ…