「脱走兵」だった祖父、山上から見たヒロシマ「ここまでやるんか」

有料記事核といのちを考える

岡田将平
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 1928年6月、広島市の桜の名所・比治山。そこで撮られた1葉の写真が記者の私(41)の手元にある。

 小高い山の上の広場に、かつてあった天皇の休憩所「御便殿(ごべんでん)」が見え、その手前で男性がほおづえをつき、目を閉じる。「徴兵検査の日の午後」と添え書きがある写真。その17年後、男性は同じ山の上から焼け野原となった広島の街を見ることになる。

 当時18歳だった男性の名は、楠田益雄。広島市出身の記者である私の祖父で、私が小学3年の時に80歳で亡くなった。近くのおもちゃ屋に私を含め孫たちを連れて行って、好きなものを買ってくれた記憶がある。

軍歴証明書の「海浪」「佳木斯」「勃利」

 祖父について、家族からは戦…

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被爆者はいま、核兵器と人類の関係は。インタビューやコラムで問い直します。[記事一覧へ]