節目の年に垣間見えたやまびこ打線 監督「うちは池田高校ですから」
(16日、高校野球徳島大会2回戦 徳島商6―2池田)
打てば響く「やまびこ打線」。1982年、全国選手権を制したのは強打の池田だった。
江上光治、畠山準、水野雄仁らの強力打線を擁し、準々決勝でエース荒木大輔の早稲田実(東京)を14―2と打ち砕いた。
決勝も伝統校の広島商に12―2と大勝した。
犠打や機動力を重視する「広商野球」をパワーで圧倒したことで、池田は高校野球に革命を起こしたと言われた。
現在の井上力監督もその強打に憧れて池田に入学し、外野手として86年の選抜大会で優勝した。
あの夏の全国制覇から、ちょうど40年になる。池田は1922年の学校創立から100年を迎えた。
この日、春の県大会を制した徳島商を相手に、池田は伝統の一端を見せた。
一回、先頭の森幹太(3年)が四球で出塁。2番小角光太(3年)は送りバントの構えも見せない。2球目をフルスイングすると、打球は右翼手の頭上を越える。先制の適時三塁打となった。
無死三塁からも策はなし。3番は三振に倒れたが、4番内田颯人(3年)も左前適時打を放ち、2点目を挙げた。
その後、投手陣が徳島商打線に逆転されたが、鮮やかな先制パンチだった。
試合後、スクイズなどを使わなかったことを問われた井上監督は答えた。「格上相手にチマチマ送っても通用しませんから」
そして、強い口調で続けた。
「うちは池田高校ですから。時代は変わっても、やまびこ打線の代名詞はついてくる。自分もあの打線に憧れて、池田で育ててもらいました。今の選手もみんな後輩です」
節目の年。やまびこが一瞬、快音を響かせた。(編集委員・稲崎航一)
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- 【視点】
「やまびこ打線」に憧れて少年野球時代を過ごしたわたしにとって、「IKEDA」のユニホームは別格です。 一回表、無死一塁から2番打者が豪快に打って三塁打。「これが池田高校だよ!」と、身震いがしました。 甲子園だったらどれだけのファンが
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