第4回「原爆が私の体に残っていた」 終わらぬ苦しみ、写真家が見つめた痕

有料記事核といのちを考える

聞き手・西本秀
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写真家 大石芳野さん(79)

 ロシアのウクライナ侵攻が始まったとき、真っ先に思い浮かんだのは、現地で取材してきた人々の顔でした。

 初めて訪ねたのは、まだソ連時代の1990年、チェルノブイリ原発事故から4年後でした。被曝(ひばく)した原発労働者やその家族らと面会して話を聞き、撮影しました。

 水蒸気爆発を起こした4号炉で働いていた作業員の男性は白血球が減少し、当時、入退院を繰り返していました。

 原発事故の数日前に生まれたという4歳の娘さんもいました。体が丈夫ではなく、めったに外出できずにいました。

 エフゲニアさんというその少女とは、8歳、10歳のときに面会を重ねてきました。2017年に現地で会ったときは結婚して、お母さんになっていました。

紛争や戦争の地で生きる人々を取材・撮影してきた写真家の大石芳野さんが、戦争が終わっても苦しみが続く「被爆の実相」について語ります。

終わらぬ苦しみ 「破壊力の大きなミサイル」ではない

 ロシアの侵攻がなければキーウに暮らしているはずですが、国外に避難したのか、連絡を取れずにいます。

 彼らは自分たちについて、ヒロシマやナガサキ、ビキニなどに次ぐ、世界のヒバクシャだという意識があります。

 事故で消火活動にあたった消…

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