メシを勧める田中角栄氏、文学的な声明 日中関係変えた北京の5日間

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論説委員・古谷浩一、北京=林望
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 重苦しい沈鬱(ちんうつ)な空気がその場を包んでいた。

 1972年9月26日の夜。まだ夏の暑さが残る北京西郊にある釣魚台迎賓館18号楼の一室で、首相の田中角栄を筆頭とする日本政府代表団の面々はネクタイを緩めて遅い夕食を始めようとしていた。

 日本と中国の国交正常化のため、前日に北京入りした一行はすでに首脳会談と外相会談をそれぞれ2回ずつ行っていたが、特に台湾をめぐる双方の主張の隔たりは大きく、交渉は難航していた。

 「非常に暗い気持ちでしたね。正直言って、もうこれは合意できないかもしれないという気分でした」

 大平正芳外相の秘書官としてこの場にいた藤井宏昭(88)はそう振り返る。後に駐英国大使などを歴任するエリート外交官の目に、ムスッと押し黙り、ほとんど食べ物を口にしない大平の姿が痛ましく映った。

日中半世紀 未完の正常化

 中華人民共和国との「復交」と、台湾の中華民国との「断交」。今から50年前、異例の外交劇がありました。巨大な隣国との関係はいかなるものであるべきか。歴史を振り返りながら、随時伝えていきます。

 ただ、緊迫した空気を打ち破るように一人だけ元気な男がいた。「さあ、メシを食おう」。明るい調子でダミ声を響かせていたのが首相の田中だった。

 「総理には何かいいアイデアがあるのでしょうか」。そんな問いかけに対し、田中はあっけらかんと笑いながら言った。

 「君らは大学出ているだろ…

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    江藤名保子
    (学習院大学法学部教授=現代中国政治)
    2022年7月19日9時3分 投稿
    【視点】

    外交史を研究していると、様々な支流が大きな川に流れ込むように時代の潮流がある方向に向かった、と感じる事例があります。日中国交正常化はまさに、両国の国内情勢と国際情勢のタイミングがぴたりと重なった転換点でした。 2000年代までの日本の対中

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    藤田直央
    (朝日新聞編集委員=政治、外交、憲法)
    2022年7月19日8時41分 投稿
    【視点】

    日中国交正常化50年企画が始まりました。外交をめぐるこうした温故知新の記事を読んだり、書いたりして思うのは、時々の局面でぎりぎりの判断がある一方で、時が経って見えてくる流れがあるということです。ただし、現状に対する自分の見方を補うために歴史