甲子園、ただ一人経験した主将の重圧 盛岡大付・中沢、支えられた夏
(21日、高校野球岩手大会準々決勝、盛岡大付0―8一関学院)
早すぎる夏の終わりだった。昨夏優勝校の盛岡大付が準々決勝で姿を消した。
七回表、8点差。中沢舟汰選手は次打者席でバットを握りしめた。あと1死で試合が終わる。ベンチで仲間たちが大声で叫ぶ。「中沢まで回せーっ!」その瞬間、思った。「自分は支えられてここまで来たんだ」
昨夏。岩手大会で優勝し、マウンドに集まった瞬間のことは今でも忘れられない。現チームの中で唯一、甲子園の土を踏んだ。チームは3回戦まで勝ち進み、自身も夢の舞台で安打を放った。
敗れた日の夜に、田屋瑛人前主将と約束した。「お前の代でも行ってくれ」
その後、主将になった。どうやってまとめていこうか。大所帯を率いた経験はない。優勝校という重圧もあった。不安だった。
自分の持ち味である打撃を磨こうと思った。中学時代、進学先に盛岡大付を選んだのは、「打撃のチームだから合っている」と思ったからだ。冬場は重いバットで振り込んだ。春になり軽いバットに戻すと、秋に打てなかった球を捉えられるようになっていた。
ただ、周囲も支えてくれた。岩手大会の前に、3年生の副主将を7人に増やした。「自分がやらなきゃという思いが強い」とみた関口清治監督が考えた。
寮で、学校で。24時間一緒に過ごす仲間。さらに、支え合う間柄になった。
この日、一関学院の下手投げに苦しんだ。3打数1安打。4打席目は、回ってこなかった。ベンチの前に整列した際、泣き崩れる仲間。しかし、中沢主将は前を向き、勝者を見つめた。
仲間に、こう伝えたいからだった。「ここで終わりじゃない。きょうの負けを取り返すくらいの人生を歩んでいこう」(奈良美里)