第2回好き勝手に言い合い、笑いが絶えない 寂聴さんの毎日をエッセーに
②瀬尾まなほさんに聞く
瀬戸内寂聴さんは昨年11月、100歳を間近にして亡くなった。秘書の瀬尾まなほさん(34)は、晩年の寂聴さんに寄り添ってきた。笑いが絶えない日々を過ごし、その素顔をエッセーにつづった。
連載「寂聴 残された日々」はこちらから
寂聴さんが亡くなる直前まで朝日新聞に連載していたエッセー「寂聴 残された日々」。単行本に未収録の分も読めます。
――瀬尾さんがエッセーに書いた思いは何ですか。
こんなに魅力的な人に会ったことがなかったんです。おちゃめで、かわいくて、おもしろい。それなのに、そのことがあまり知られていないと感じていました。私たちの世代、20代、30代にとって、瀬戸内寂聴といえば、「ものをはっきり言う毒舌な尼さん」と思われていたり、作家であることを知っている若者も多くないんです。
先生の魅力をもっともっと知ってもらいたい。先生の小説を若い人たちに読んでもらいたい。そう思って、共同通信や読売新聞の連載で先生の日常を書きました。そのことを通して、20代、30代に先生の本をたくさん読んでもらうことが、私のゴールだと考えていました。
――寂聴さんは瀬尾さんのエッセーを読み、どんなことを言っていましたか。
「先生は変わっていますよ」「人と違うところがいっぱいありますよね」と先生に言っても、自分では変わっているとも、おかしいとも思っていません。いたって普通というか、「私は私」という人でしたから。でも、私が書いたエッセーを読んで笑うんです。「こんなにおかしいことをしているの? ふつうじゃないわね」と、自分のことを客観的に受け止めていたと思います。
私が寂庵(じゃくあん)に来たことで、先生と若い人の距離が縮まったと思います。悩みを相談しに寂庵に来る若者もいますが、「やりたいことがない」という声が多いんです。先生は「好きなことが才能」「若き日に薔薇(バラ)を摘め」と言っていましたが、若いんだったら怖がらずに一歩を踏み出せということですよね。波乱の人生を歩んできたからこそ、若いときに傷ついてもすぐに治る、何でもやってみたらいいと言っていました。
――亡くなった後に出版した『#寂聴さん 秘書がつぶやく2人のヒミツ』(東京新聞)で、最期の様子をつづっています。
記事の後半では、寂聴さんが新しい女性の生き方にふれ、寂庵を保育園にする構想があったことも語られます。
昨年11月に亡くなった直後…