第5回原稿用紙に向かう寂聴さん 書き続ける苦しみと、本が売れる喜びと
⑤瀬尾まなほさんに聞く
ペン1本で生きてきた瀬戸内寂聴さんは、書くことが喜びだった。その一方で、書き続ける苦しみもあったという。秘書の瀬尾まなほさん(34)は、原稿用紙に向かう寂聴さんの姿をもっとも近くで見てきた。
連載「寂聴 残された日々」はこちらから
寂聴さんが亡くなる直前まで朝日新聞に連載していたエッセー「寂聴 残された日々」。単行本に未収録の分も読めます。
――2015年から朝日新聞で連載「寂聴 残された日々」を続けていました。ほかに、どんな連載を持っていましたか。
99歳になっても朝日新聞、週刊朝日、京都新聞、文芸誌の新潮、群像の5本の連載を抱えていました。特に新潮、群像に連載を持っていることが自信につながり、自慢でした。体力的にも減らしたほうがいいんじゃないですかと言うと、「連載を持っていることは作家として、ものすごく、うれしいことなんだよ」と話していました。
――書き続ける苦しさを感じたことはありますか?
連載の締め切りが迫ると、「このしんどさは、あんたにはわからないわよ」と怒鳴られたことがあります。そう言われてしまうと、ぐうの音も出ませんよね。年とともに、書き始めるまでに時間がかかるようになりました。エンジンがかからない。でも、しんどいのに、命を削りながら書き続け、なんとしても作品を生み出す。その苦しみを身近でみてきました。
しかも、コロナ禍になって法話ができなくなりました。寂庵(じゃくあん)で毎月開いていた法話の会は20年1月が最後です。対談もできません。オンラインだと、相手の反応が伝わりにくく、間(ま)がつかめない。刺激のない日々が続き、書くことにも影響しました。今月のエッセーは何を書こうか、書くことが見あたらないと悩んでいることもありました。
――生老病死の「老」との闘いとも言えますね。
「人生は一瞬、本当にあっという間よ」と、よく言うんです。私の息子がしゃべり出すのを見たい、新潮社から『瀬戸内寂聴全集』が出るのが楽しみ、100歳の誕生日は盛大にお祝いしたい、そういうことを話していましたが、長生きすることは決していいことだと思っていませんでした。
身内も友だちも亡くなって、自分だけが生き残る。残された者の寂しさを感じていました。自分も早く逝きたいのに、なかなか逝けない。それが「定命(じょうみょう)」なんでしょうけれど。体が思うように動かなくなり、心と体のバランスがあわなくなっていました。
気持ちが若いから、ほかの作家と同じように書きたいし、どんどん書きたいテーマが浮かんでくる。だけど、書く体力がない。悔しかったと思います。
――書くことをやめたいと言ったことはありましたか?
記事の後半では、本を出すたびに子供のように喜ぶ寂聴さんの姿が語られます。
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