「損したと気付くのは、いつも辞めた後」 加藤死刑囚が明かした経歴

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 2008年に東京・秋葉原で無差別に7人を殺害し、10人に重軽傷を負わせたとして、殺人などの罪で死刑が確定し、26日に死刑が執行された加藤智大死刑囚(39)。東京地裁で10年1月から始まった計30回の公判で、加藤死刑囚が語った肉声とは、どんなものだったのか。

 「償いとして、どうして今回の事件を起こしてしまったのか明らかにするため、今回の事件までの出来事や、事件当時の詳しい内容を後日ご説明します」

 10年1月28日、104号法廷で開かれた初公判。裁判長から起訴内容について問われた加藤死刑囚は、メモを手にこう述べた。

 17人が殺傷された起訴内容を検察官が淡々と読み上げる間、じっと前を向き、時折ぐっと目を閉じた加藤死刑囚。初公判の前年の09年11月、謝罪の手紙を遺族や負傷した被害者に送っていた。B5の便箋(びんせん)で6枚。ボールペンを使い手書きで記されていた。

 事件は「私がやったことには間違いなく、その罪から逃れるつもりは毛頭無い」としながら、「事件の記憶がほとんどない」と言及。「真実を明らかにし、対策してもらうことで似たような事件を二度と起こさせないようにすることをせめてもの償いにしたい」とつづった。

     ◇

 「利用していたインターネット掲示板での嫌がらせを本気でやめて欲しかったことを、事件を起こし、報道を通じて知ってもらおうとした」

 10年7月27日の第16回公判。この日から始まった被告人質問で、事件の動機をそう述べた。「何か言いたいことがあっても言葉ではなく、行動で示して気付いてもらおうとする自分自身の物の考え方」、「ネット掲示板にだけ強く依存してしまう生活のあり方」も要因として挙げた。

     ◇

 「現実の建前社会とは違って、本音で言い合える、他に代わるもののない大切な場所だった。自分が自分でいられた」

 同じ第16回公判。ネット掲示板について、そう語った加藤死刑囚。「本音が出せるネット上の人間関係は家族同然。書き込みがあると、自分の部屋におしゃべりに来てくれるようで、一人じゃないと感じられた。自分が自分でいられる、自分が帰る場所だった」とも述べた。その掲示板で嫌がらせをする者に、自分の気持ちを分かってもらうことで解決を図ろうとしたという。

「新聞のチラシにぶちまけられた夕食を」

 「怒られる理由がわからない…

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