第5回夏の渡り廊下で、初めて感じた父の存在 1歳だった私は証言を始めた

有料記事核といのちを考える

田辺拓也 清宮涼
[PR]

 爆心地から最も近い小学校の本川小からは原爆ドームが間近に見える。石川律子さん(78)はかつて、この学校で教員を務めた。「父も同じ景色を見たかも」。眺める自身に、在りし父の存在を重ねた。

 1歳の時、爆心地から3・5キロの自宅で被爆した。同じ学校の教員だった父は学徒動員の付き添い中に亡くなったという。祖母から聞いた話で、父の記憶は一切無い。小学3年で母も失い、姉妹とともに祖母に育てられた。

朝日新聞広島版で14年続く連載「聞きたかったこと」。 約400人が被爆体験とその後の人生を語ってくれました。被爆77年の今年、忘れられない「あの場所」で再び話を聞きました。 当時の記事も再録しています。

 中学校を卒業後、家計を助けるため働きながら夜間の高校と短大で学んだ。通信教育教員免許を取得し、27歳で小学校の教員になった。

 46歳で本川小に赴任し、古…

この記事は有料記事です。残り1922文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
今すぐ登録(1カ月間無料)ログインする

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません。

核といのちを考える

核といのちを考える

被爆者はいま、核兵器と人類の関係は。インタビューやコラムで問い直します。[記事一覧へ]