「危険な街」事件で一変した秋葉原 地域の奮闘で歩行者天国再開

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滝沢貴大
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 2008年にJR秋葉原駅(東京都千代田区)近くの路上で7人を殺害し、10人に重軽傷を負わせた加藤智大死刑囚(39)の死刑が26日、執行された。事件発生から14年。街はどのように変わったのか――。

 事件の現場付近は26日、買い物客や客引きのメイドなどでにぎわっていた。14年前、事件が起きたあの日もそうだった。事件は休日を楽しむ人で混み合う、日曜日の正午過ぎに起きた。

 「地下アイドルの子たちが歌ったり、コスプレイヤーたちが楽しんでいたり。良くも悪くも、自由な雰囲気だった」。当時の秋葉原について、秋葉原観光推進協会の泉登美雄理事長は振り返る。

 泉さんによると、事件まで街のメインストリート「中央通り」は毎週日曜と祝日、歩行者天国となっていた。過激な服装で出歩く人や、それを目当てにカメラを向ける人が増えつつあり、風紀上の問題を指摘する声も一部にあった。そうした雰囲気を改善したい、地元では、そんな動きも出始めた頃だった。

 事件を境に、街の雰囲気は一変した。

 歩行者天国は中止になった。「危険な街」という印象を持たれ、以前は立ち寄っていた人からも「秋葉原には行きたいけど。今は危ないよね」という声が街の関係者には寄せられた。「何で秋葉原で」。泉さんは当時から、そんな疑問を抱き続けてきた。

 悪いイメージの払拭(ふっし…

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