第9回天皇訪中に異論「もうだめかも」 30年前の墨塗り文書、にじむ模索

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編集委員・藤田直央、里見稔
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 日中国交正常化20周年の1992年、天皇(現上皇)が訪中した。それに関する情報公開請求を2021年に朝日新聞記者が外務省にしたところ、22年までに321点の文書が開示され、実現に至る中国との駆け引きや日本政府の検討過程の一部がわかった。

連載「日中国交正常化50年 外交記録は語る」(全13回)

日中国交正常化から9月29日で50周年を迎える。この間、さまざまな政治家や官僚らの往来があり、日中関係には紆余曲折があった。1970年代末から90年代初めにかけてを外交記録から読み解く(敬称略)。

 だが、文書には伏せたい部分を黒く塗りつぶす「墨塗り」がとても多い。当時の記事や関係者への取材とあわせて振り返る。

 89年1月に昭和天皇が崩御。元号が平成に変わってから初の中国首脳の来日が4月に迫っていた。首相の李鵬と新天皇の会見に向け、日中の探り合いが始まった。

 3月9日、訪中した外務省アジア局長の長谷川和年に、駐日公使から中国外務省アジア局長となった徐敦信が、李から天皇への訪中招請について打診。28日に中国外務省日本課長の王毅(現外相)が北京の日本大使館側に重ねて問うた。

「やりましょう」 官邸訪れた渡辺外相

 大使館側は検討中と答える一…

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    藤田直央
    (朝日新聞編集委員=政治、外交、憲法)
    2022年8月9日8時3分 投稿
    【視点】

    日中国交正常化50年で1970年代末~90年代初めを振り返る連載も終盤です。もう一回だけ筆者としてコメントさせてください。  今回と次回は1992年に実現した天皇訪中への曲折を追います。情報公開請求で出てきた外務省の文書が土台ですが、30

連載日中国交正常化50年 外交記録は語る(全13回)

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