「冷戦終結」の1年前、ゴルバチョフ氏がレーガン氏に打ち明けた胸中

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喜田尚・前モスクワ支局長

 ソ連の元最高指導者ミハイル・ゴルバチョフ氏が30日、死去した。東西陣営が激しく争った1980年代に東の盟主ソ連で改革を始め、米国のレーガン、ブッシュ(父)両大統領、英国のサッチャー首相、西ドイツのコール首相らとともに冷戦を終結に導いた。

 だがその死を迎えた今、ソ連を継いだロシアはウクライナに侵攻し、新時代に歩み出したはずの世界は再び欧米と中国・ロシアが激しい対立のただ中にいる。

 88年12月7日、米国ニューヨークの国連総会で演説を終えたゴルバチョフ氏は、マンハッタン南の小島で、当時のレーガン大統領とその後継で大統領選で当選したばかりのブッシュ次期米大統領の2人に迎えられた。

 演説でゴルバチョフ氏が打ちだした50万人にも及ぶ一方的なソ連軍の削減計画は、この日大きなニュースとして世界を駆け巡った。

 レーガン氏と史上初の核軍縮条約である中距離核戦力(INF)全廃条約に調印したのはその1年前の87年12月8日。ブッシュ氏と「冷戦終結」を宣言するのは、この日からほぼ1年後の89年12月3日のことだ。

 ソ連国内では当時、党ナンバー2と目されたリガチョフ政治局員が保守派の総帥として改革に抵抗。いったんは失脚した急進改革派のエリツィン氏(後のロシア初代大統領)も党中央批判を活発化させ、ゴルバチョフ氏のペレストロイカは胸突き八丁の段階に入り始めていた。

 ゴルバチョフ氏は後の回想で…

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    福田充
    (日本大学危機管理学部教授)
    2022年8月31日19時8分 投稿
    【視点】

    ゴルバチョフ氏がソ連末期にソ連の政治と経済をマネジメントする立場にならなかったとしても、その時期のソ連の経済停滞と社会的混乱は国家として免れなかったのではないか。確かにゴルバチョフ氏には、ペレストロイカというスローガン的な要素が強いメッセー

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