ゴルバチョフ氏が冷戦後、被爆地・広島、長崎で残した言葉とは

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岡田将平 戸田和敬 田井中雅人
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 亡くなった元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏は東西冷戦を終結に導いた後、被爆地・広島、長崎を訪れ、「悲劇を繰り返してはならない」と誓った。いま、ロシアによるウクライナ侵攻が続く。同氏のめざした世界と現実との差を、ゆかりの人々はどう受け止めているのか。

「もっと世界の人が受け止めていれば」 元広島市長

 「彼は冷戦を終わらせた功労者。だが、彼が考えていた新しい世界は残念ながら来ていない」

 ゴルバチョフ氏はソ連大統領を退任した後の1992年、広島を訪問した。案内した当時の広島市長、平岡敬さん(94)は同氏の無念さに思いをはせる。

 自宅には、ゴルバチョフ夫妻と撮った写真を大切に残してある。原爆ドーム周辺などを一緒に歩きながら、前年の91年8月6日に読み上げた広島市の平和宣言について説明した。86年のチェルノブイリ原発事故の被害者への医療支援の必要性などに触れた内容だったからだ。同氏も原発事故の重大さを強調し、核兵器も「なくしていかないといけない」と語ったという。

 80年代に米ソの核軍縮を実現し、冷戦終結に導いたゴルバチョフ氏。「彼が考えたのは軍事力ではなく、話し合いによる物事の解決」と平岡さんは受け止める。

 だが冷戦終結後、米国は「一人天下だ」という認識のもと、自国の覇権を広げていったとみる。その延長に北大西洋条約機構(NATO)の拡大があり、ロシアによるウクライナ侵攻の一因となったと考える。「ロシアも悪いけど、追い込んでいった歴史も考えないといけない」

 ゴルバチョフ氏にも功罪があると思う。ただ、今のように侵攻が続く中、「平和志向」の哲学は正しかった、と実感する。「彼の考えをもっと世界の人が受け止めて生かせば、武力対決じゃなく調和を求める世界になる。彼の考え方をもっと発展させるべきだった」

芳名録につづった誓いの言葉

 広島平和記念資料館の元館長の原田浩さん(83)は、「広島にとって大きな存在で、良き理解者だった。核兵器廃絶を目指すうえで、極めて大きな道筋をつくってくれた」と話す。

 92年の広島訪問時、原爆死没者慰霊碑に献花して黙禱(もくとう)し、資料館の芳名録にこんな趣旨のメッセージをつづった。

 《歳月を経ても広島の悲劇は…

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