通学電車から見た2.26事件 相次ぐ襲撃・暗殺で言論は封じられた

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中村尚徳
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下級将校の記憶(1) 元栃木県鹿沼市長の福田武さん

 その朝、東京は雪に覆われていた。

 1936(昭和11)年2月26日、慶応義塾普通部2年だった福田武さん(101)=栃木県鹿沼市=は、登校中の山手線車内でそれまで耳にしたことのない放送を聞いた。

 《宮城(皇居)側の窓の鎧戸(よろいど)を全部閉めるように》

 とっさに鎧戸がない乗降口に走り寄った。

 「銃を担いだ兵隊が日比谷公園の近くで右往左往していたんです。交差点の角には土囊(どのう)が積まれていましてね。午前8時ごろだったでしょうか。いつもなら行き交う車や通勤の人たちの姿もない。思えば、人がいない東京を見たのは、あのときだけだったな。演習じゃない、何が起こったんだ、と思いましたよ」

 福田さんがただならぬ光景をみていた時、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎・陸軍教育総監らは殺害されていた。

 その前年の春、旧制宇都宮中…

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