8月、平和を考える 戦後77年変わらぬ思い、新たな願い

平畑玄洋 福田祥史
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 【茨城】先の戦争を振り返り、命と平和を思う8月が、また巡ってきた。戦後77年。記憶が遠ざかる中、欧州で戦火が上がり、不戦への誓いを新たにする人も多い。忘れないための取り組みは、続く。

 水戸市の「みと文化交流プラザ」では2日、77年前のこの日未明にあった「水戸空襲」を体験した語り部による講演会「わたしは戦争を忘れない―戦争と子どもたち―」があった。

 水戸空襲では、米軍のB29爆撃機が1時間45分にわたり同市内に1145トンもの爆弾を落とし、死者は300人を上回るとされる。

 講演したのは小菅次男さん(85)。当時、同市南町に住む小学3年生だった。

 空襲が始まったのは午前0時31分。小菅さんと家族は、前日夜の空襲警報を受けて防空壕(ごう)に入っていた。だが、焼夷(しょうい)弾が落ちる轟音(ごうおん)とともに、周囲が明るくなった。「逃げろ」という父親の言葉を合図に、家族9人が3組に分かれて外へ飛び出した。母は生まれたばかりの妹を背負っていた。

 逃げる途中に見た裁判所は、コンクリート造りだというのに、中は「火の海」のように真っ赤に燃えさかっていた。人混みで母親を見失い、何度も必死で呼び続けたという。

 朝になって家族と再会したが、街は変わり果てていた。家に残っていたのは鋼鉄製の金庫と五右衛門風呂だけ。「熱がいかにすごかったかが分かる」

 しばらくは防空壕の中で暮らしたが、数十メートル離れた近所の家には夫婦の遺体が折り重なった状態で数日間放置されていた。空襲では、防空壕の中で窒息したり、高熱で亡くなったりした人もいたという。

 小菅さんはロシアによるウクライナ侵攻にも触れ、語気を強めた。「空襲は一般市民を含めた無差別爆撃。『ロシアは何であんなことを』と思うかもしれないが、日本も以前は加害者であり被害者だった」

 講演後、取材に対し「次世代を担う子どもたちには、二度とそういう国にしてほしくない」と語った。(平畑玄洋)

悲惨さ伝える企画 各地で

 戦争の痛ましさを伝える企画は、県内各地で開かれる。

 利根町生涯学習センターでは2日、企画展「史料が語る戦争のきおく」が始まった。「戦争の悲惨さを学び、平和の大切さを伝える」として、町教育委員会が初めて開いた。町民から寄せられた戦争体験や当時の写真、資料などを展示している。

 開催に協力した元町職員の長島平衛(ひらえ)さん(81)は3歳の時に父が出征し、フィリピンで戦死したという。おびただしい数の犠牲を出したあの頃の様子を知ってもらおうと、町内に「戦争の記録館」を開いている。

 当時の心境を尋ねると、ウクライナで戦地に向かう父親に抱かれ泣きじゃくる子どもの写真を示し、「私も同じだった。出征の前の晩に父に対し『戦争行っちゃいやだよ』って、何回もぐずった。見送った駅では、みんなが叫びながら汽車を追いかけた」。

 父の戦没地を訪ねたフィリピンで、やはり戦死した米兵の写真を見て涙が止まらなかったという。「あんなことは二度とやってもらいたくない。戦争は絶対にやってはいけない」

 18日まで(月曜と祝日休み)。7、13、14日の午後には、長島さんによる語りの催しがある。

 牛久市住井すゑ文学館でも2日、市教委による企画展示「戦争の時代と牛久」が始まった。戦時下の牛久で撮られた写真20点をスライド上映するほか、出征時の寄せ書きなど、当時の住井と家族の資料を展示している。9月4日まで(月曜休館)。

 取手市は3日から藤代駅、10日から取手駅で、原爆の写真を中心に「平和展」を開く。今年は広島に投下された「リトルボーイ」の実物大ポスター(約3メートル×1メートル)も展示する。

 守谷中央図書館では1日から、来館者が寄せる平和についてのメッセージを展示するとともに、平和や戦争に関する図書をまとめたコーナーを設けている。30日まで(無休)。

 メッセージには、それぞれが考える「平和」が記されている。「みんなが楽しく仲よく生活できること」「わらうとき、なかよくすること」「笑顔」……。何げない日常の中に平和を感じる思いが伝わるメッセージが多い中、こんな言葉があった。「すてき」(福田祥史)