第1回インパール、地雷踏んだ後のこと 「笑って生きる、俺にはできねぇ」

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構成=編集委員・石橋英昭
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 宮城県栗原市の菅原利男さん(98)は、1944年6月、日本軍がインド侵攻を図ったインパール作戦に加わり、終戦まで、ビルマ(現ミャンマー)の地をはいずり回った。弾薬や食料補給を断たれる中での、悲惨な敗走。「あれは地獄だった」と振り返る。

戦火の中で青春を過ごした人たちは、百歳前後になろうとしています。その体験をいま、書き残しておきたい。戦後77年の夏、「百歳の戦争」シリーズを始めます。

 俺は記憶力はいいんだ。通信兵で伝令をやってたんだから。

 45年3月、マンダレーを撤退するときに打電した電文を、いまも言える。「ついに敵の重囲に落つ。師団は今夜強行突破を決行す。不可能の時は玉砕」とね。

 82歳のとき、思い出しながら手記を書き、自費出版した。でもこの本、半分のことしか書いてねぇ。

 なぜかって?

 戦友の遺族に聞かれるんだよ、「どんな死に方でしたか」って。戦死だったら勇ましい。実際はマラリアや赤痢で倒れた人が多かったんだ。雨期のジャングルで、ウジがわき、ハゲタカが群がって……。そうやって死んでったのさ。書けなかった。いや書きたいとも思わねがった。

 代わりに、必ずこう伝える…

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