「若い被爆者」にも忍び寄る老い 一度は断った後任、考え変えた侵攻

有料会員記事核といのちを考える

岡田将平、福冨旅史
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 世界の平和を願うこの日も、ロシアのウクライナ侵攻は止まっていない。広島への原爆投下から77年たって再び迎えた核の危機の一方で、「あの日」を知る人たちの声は細る。世界が、広島が、岐路を迎えている。

 「世界は危ないところに来ている」。平和記念式典に参列し、広島市長の平和宣言や国連事務総長のあいさつを聞いた金沢市の西本多美子さん(81)は改めて実感した。

 今年2月、ロシアがウクライナに侵攻し、連日のニュースに気持ちが沈んだ。建物が破壊された映像は、原爆投下後の広島の光景と重なった。プーチン大統領核兵器を使用する可能性まで示唆し、「威嚇ですまされない不気味さがある。下手すると核のボタンを押すかもしれない」と危機感を抱いた。

 77年前は4歳だった。爆心地から2・3キロの自宅にいる時、「B29だ」と声がして、母が覆いかぶさってきた。家の中はめちゃくちゃになり、壊れた屋根のすき間から空がのぞいた。

 2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議などに合わせ、米国を4回訪れた。オランダフィリピン、コスタリカにも。十数年前にロシアを旅した時には、約20人の大学生らに核兵器廃絶を訴えた。「(広島の被害について)聞いたことはなかったはず。少しでも何か残っていたら」

 昨年、96歳で亡くなった坪井直さんら、原爆で大やけどを負い、後遺症を抱えながら、核兵器廃絶を懸命に訴える被爆者を間近で見てきた。「そういう人たちが死にものぐるいで頑張ってきたのに、何てことをしてくれるの」。長年の努力が踏みにじられたと思った。

 侵攻後も、金沢市の小学校などで体験を語ってきた西本さん。もう一つの「危機」にも焦りを感じている。

 「世界中の人に被爆者がどこまで(減って)きているか知ってほしい。だんだん被爆者の姿自体が見えなくなっている」

 6月に東京都内であった被爆者の全国組織、日本原水爆被害者団体協議会の総会で、西本さんはそう訴えた。石川県にはかつて200人以上の被爆者がいたが、今は60人を切った。西本さんが会長を務めていた被爆者団体は活動の継続が困難となり、3月いっぱいで歴史に幕を閉じた。

 「若い被爆者」だった自身にも老いはだんだん忍び寄る。「被爆者がゼロになる時がまもなく来る」。自身の半生を描いた紙芝居に思いを託そうと、平和サークルの仲間たちと制作に取り組んでいる。

攻撃の様子を見て「あの日も同じような光景だったのか」

 広島市の主婦広田和子さん(78)は6日、「被爆者代表」の一人として、岸田文雄首相への要望書を読み上げる役を担った。

 77年前は1歳4カ月だった。母におぶわれ、列車に乗っている時に被爆したと聞いたが、記憶はない。

 今年1月、姉の佐貫(さぬき)千津子さん(81)から言われた。「私も年じゃけえ、後を継いでくれる?」

 4歳の時に被爆した千津子さ…

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