第7回「見たことは口外するな」10日後の爆心地、ソ連のスパイは絶句した

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編集委員・副島英樹
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ソ連が調査した被爆地<下>

 1945年8月6日、広島で1本のバイオリンが原爆に遭った。

 持ち主は、17年の革命後、崩壊したロシア帝国から逃れてきた男性だった。自宅のがれきの中から、愛用のバイオリンを見つけ出した。

 それからわずか10日後の8月16日、共産主義のソ連のスパイとして、広島に入った2人の男がいた。

 ソ連、ロシアと核兵器の最初の「接点」とも呼べるこの調査にスポットをあてたい。

 スパイ2人は東京から広島に入った。翌17日には長崎へ。彼らは、二つの被爆地で見た光景を最高指導者スターリンに宛てた報告書にまとめた。

 そして原爆は、スパイ2人の運命を翻弄(ほんろう)することになる。

 ソ連がいち早く広島、長崎に人を派遣したのは、自国ではまだ開発できていない原爆という新型兵器の威力を確認するのがねらいだった。

 その任務を命じられたのは、2014年に101歳で生涯を閉じたミハイル・イワノフ氏だ。

まもなく死亡した同僚 調査報告書の行方は

 第2次世界大戦末期、東京のソ連大使館に在籍し、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の一員として活動していた。

 日本が降伏した直後、イワノフ氏は同僚のセルゲーエフ氏と一緒に夜行列車で東京を出発し、8月16~17日に広島、長崎に入った。

 ただ、スターリンら最高指導…

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