旧友の主将が最初で最後の戦い 日大三と聖光学院、絶妙な巡り合わせ
「甲子園で会えたらいいな」
中学生だった2人はそう話し、別々の高校に進んだ。
それから2年半。
3日にあった選手権大会の抽選会で、日大三(西東京)の寒川忠主将(3年)がくじを引いた。
9日第2試合の一塁側。
「三塁側を当ててくるかな」
そう意識する相手がいた。
聖光学院(福島)の赤堀颯主将(3年)だ。
寒川君は兵庫県出身で、赤堀君は京都府出身。中学時代は同じ大阪のクラブチームに所属していた。
各地から選手が集まる強豪チームだったが、そのなかでも「一番仲がよくて、一緒に練習をしてきた」と寒川君は話す。
もともと、2人とも内野手。寒川君が二塁手のレギュラーとなり、赤堀君は外野手になった。
「向こうの方が技術が上で、すぐに転向を命じられました」と赤堀君は笑う。
中学3年のときには、寒川君が主将、赤堀君が副主将となり、チームを引っ張った。中学硬式野球の最高峰とも言われる「ジャイアンツカップ」への出場も果たした。
ただ、進学先は別々の高校を選んだ。
寒川君は、2011年に全国制覇を果たした日大三にあこがれた。
赤堀君は、「野球に対する選手の思いがほかの学校とは違う」と聖光学院を選んだ。
昨夏、2人はそれぞれ、新チームの主将に就任した。
日大三は昨秋の都大会準決勝でコールド負けを喫し、今春の選抜大会出場を逃した。直前の準々決勝で昨夏の代表校に勝ったこともあり、気の緩みがあった。
寒川君は「勝ったからこそ気を引き締めないといけない」。そうチームに呼びかけ続けた。
聖光学院は昨夏、史上最長の14大会連続の選手権大会出場を目指したが、逃した。
赤堀君はこの試合をスタンドで見つめた。一つ上の先輩たちは、聖光学院史上最強世代と言われていた。
「このままでは、力がない自分たちは甲子園に行けない」。私生活の乱れや、練習で手を抜いている選手を見つけると、呼び出し、怒った。
最後の夏、チームを引っ張り続けた2人は、地方大会で活躍をみせた。
寒川君はチーム2位の打点12。赤堀君は打率5割を残し、いずれも甲子園出場を決めた。
そして抽選会。赤堀君が9日第2試合の三塁側を引き当てた。
「ほんまに当ててきたわ」と寒川君。
2人は壇上で目を合わせ、笑った。
写真撮影の後、赤堀君が寒川君の背中をポンとたたいた。「楽しもうぜ」
寒川君が「最高の舞台で戦うことができる。負けられないし、全力で挑みたい」と話せば、赤堀君は「中学時代は自分の方が格段に下だった。聖光学院で築き上げてきたものを甲子園の舞台で見せたい」と話す。
誓い合った夢の舞台で、最初で最後の対戦が始まる。(狩野浩平、滝口信之)
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