54年前の「興南旋風」の記憶 元生徒会長から「南の男」へのエール

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布田一樹
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 2022年は沖縄が日本に復帰して50年の節目の年。夏の甲子園の沖縄代表として、興南が8日の第4試合で市立船橋(千葉)と初戦を迎える。横浜市で薬局を運営する会社を経営する前田成隆さん(72)は、興南の元生徒会長。興南を10年に春夏連覇に導いた我喜屋優監督(72)と同級生で、野球部の活躍に励まされてきた。8日はアルプス席から旧友とその教え子たちに声援を送る。

 復帰の4年前の第50回大会(1968年)で、我喜屋さんが主将で4番打者を務める興南が初めてベスト4に入った。「地元のパレードに、テレビのインタビューに、どんちゃん騒ぎだった」と前田さんは覚えている。

 大躍進は「興南旋風」と呼ばれ、沖縄に修学旅行に来た県外の高校から「興南の野球部員と交流したい」と頼まれることもあった。野球部の部室と生徒会室は隣り合っていて、応対する我喜屋さんらに、生徒会長の前田さんも同席した。

 卒業後、前田さんは東京の薬科大学に進学。2年の夏休み、論文の課題の材料集めを兼ね、東海道を歩くことにした。その道中、社会人野球に進んだ我喜屋さんと再会した。

 朝もやの中、静岡県富士市のJR吉原駅から「大昭和製紙」と書かれた細い煙突が見えた。ユニホーム姿の十数人が「わっしょい、わっしょい」のかけ声とともに走ってきた。

 「おー、我喜屋じゃないか!」

 「お前、どうした!」

 故郷から遠く離れた地で同級…

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