プーチン氏は核兵器を使うのか 被爆77年、歩みたい二つの道

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ニューヨーク=藤原学思
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 米国が広島、長崎に原爆を投下してから、今月で77年になった。

 広島出身のサーロー節子さんが1日、ニューヨークで7年半ぶりに開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議の議場に姿を見せた。

 サーローさんはあの日、13歳だった。学徒動員先で被爆し、崩れた建物からはい出て自らの命は助かった。だが、姉とおいは激しいやけどを負った末、亡くなった。

 国際会議でたびたび核兵器の非人道性を訴え、2017年の核兵器禁止条約の採択に大きく貢献した。同年、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のノーベル平和賞の授賞式では、代表のスピーチをした。

 だが、すでに90歳になる。新型コロナ禍が広がったため、20年2月を最後に国際会議に直接足を運べず、もっぱらカナダ・トロントの自宅からオンラインで証言してきた。

 そんなサーローさんが2年半ぶりに会議の現場を訪れ、報道陣の取材に応じることになった。押されてきた車いすに座り、質問は耳に手を当てて聞く。何度も言葉に詰まりながら、それでもはっきりと、自らの思いを口にした。

 「(核兵器が)自分の体に、家族に、街の人たちにどのようなことをしたのか。その人道的結果について話してきたけれど、ちっとも被爆者の話には耳を傾けないで、核保有国は自分たちの都合のいいような見方をしている」

 「(核禁条約ができて)やっ…

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