「何もなければみんなに謝ればええ」 豪雨の夜、村の区長は決断した

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武田啓亮
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 3~4日に東日本各地や北陸地方を襲った豪雨では早めの避難が人的被害を減らした例があった。従来の観測記録の2・6倍という激烈な雨に見舞われた新潟県関川村の高田地区は、住民独自の判断が功を奏したようだ。

 「女川の水位が上昇しています。避難の準備をしてください」。3日午後3時ごろ、高田地区で区長をしている須貝秀夫さん(72)は村職員からの電話を受けた。すぐに地区住民に緊急用の連絡網で避難に備えるよう伝え始めた。午前11時すぎから大雨、洪水警報が発表されていた。

 2方向を川に囲まれ、田畑が広がる高田地区には約75世帯約250人が住む。連絡網は昔からあったわけではない。西日本豪雨などがあった約4年前に作った。避難に手助けが要る高齢者には、それぞれ「担当」の住民を決めた。

 須貝さんは地区の役員8人と一緒に村が設けた高台にある自主避難所に詰めていた。

 午後5時20分、土砂災害警戒情報が発表された。雨は降り続け、川の水位は上がり続けた。

 だが午後8時を過ぎても村から避難指示はない。雨脚は強まり、土砂降りに。

「あんまり遅くなると、みんな寝てしまうんでねえか」。須貝さんは気をもんだ。

 そこへ、住民から思わぬ一報が入った。

 「女川よりも先に高田の方で水があふれそうだぞ」。現地を確認すると、荒川の支流の前川から越水が始まり、田畑は浸水し、住宅の敷地のすぐそばに濁流が迫っていた。

 騒いだけど何もなかったら「オオカミ少年」になるのでは――。そう一瞬頭をよぎった。

 だが、55年前の「羽越水害」のことも思い出した。村のホームページによると、当時の死者・行方不明者は34人に上った。刻々と水位を増す濁った川の様子を見て、須貝さんは決断した。

 「なにもなければ、その時は…

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