第8回2度命拾いして聞いた終戦の知らせ みんなが泣いても私は歌った

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構成=編集委員・東野真和
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 盛岡市の老人ホームで暮らす菊池照子さん(93)は太平洋戦争末期、艦砲射撃と機銃掃射に遭った岩手県釜石市の街で、九死に一生を得た。

戦火の中で青春を過ごした人たちは、百歳前後になろうとしています。その体験をいま、書き残しておきたい。戦後77年の夏、あらためて耳を傾けました。

 私は2度、命拾いをしました。

 1度目は、最初の艦砲射撃があった日です。

 終戦1カ月前の7月14日。ちょうどお昼頃でした。当時、私は16歳で、釜石駅の貨物取扱所の向かいにあった運送会社の支店で事務見習いをしていました。近くの銀行で用事を済ませ、会社に戻って間もなくだったかなあ。軍隊経験のある支店長の指示で、事務所の前に掘られていた防空壕(ごう)に逃げ込みました。

 20人くらい入れて、天井は…

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