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ハンセン病患者の道具は語る 使う人と作る人、目指した普通のくらし

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関田 航
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 ブリキと木の義足や、変わった形の食器類……。国立ハンセン病資料館東京都東村山市)で、施設内で使われた道具などを紹介する企画展「生活のデザイン」が開かれている。強制隔離政策のもとで後遺症に苦しみながら、少しでもふつうの暮らしをと願った入所者らの暮らしぶりを物語る展示となっている。1万人以上いた全国13カ所の国立ハンセン病療養所の入所者が1千人以下になったいま、その歩みを道具が伝え続ける。

 展示室には、さまざまな道具が並ぶ。視力を失った人たちが使った鈴付きの裁縫道具、手指が使えずに「つまむ」ことができない人がボタンを掛ける道具、熱さを感じない手先のやけどを防ぐための湯飲みカバー。

 同資料館に隣接する国立多磨全生園など、全国のハンセン病療養所で実際に使われていた道具の数々だ。

 現在は薬で完治するハンセン病だが、かつては重症になると末梢(まっしょう)神経が侵され、手足などが変形。感覚を失って小さな傷を悪化させ、切断せざるをえなくなることが珍しくなかった。

 職員による看護や介護が始まった1950年代以前は「相愛互助」の名の下に、重症者の世話は軽症者が担うのが一般的だった。展示されている自助具つきの食器類などの中にも、入所者自身が作ったものがある。学芸員の西浦直子さんは「そうした古い道具たちは、かつての療養所が過酷な場所であったことの証しでもあります」と話す。

 特に目を引くのは義足類だ。ブリキの長靴のようなものから、次第に実際の足の形に近い義足へと改良されていった。装いに合わせて靴下や足袋もはかせるように。入所者たちの創意工夫が伝わる。

 「時代とともに、『生きるためのもの』から『生活を豊かにするためのもの』に変わっていきました」と西浦さんは話す。

 展示物の中に、比較的新しい1枚の写真がある。

 義足をつけた高齢の女性と、女性の腕をとり、支えながら寄り添い歩く若い男性。

 男性は全生園の義肢装具士、後藤直生(なおき)さん(43)。写真は2001年に就職して間もない頃、義足を使ったリハビリ風景だ。

 女性は大津きんさん。20代の若者だった後藤さんの暮らしぶりを心配し、時には差し入れもしてくれた。長年にわたって差別的な国策に振り回されてきた入所者の多くが簡単には心を開いてくれない中、大津さんは実の祖母のような存在だったという。

 「生きることに必死で、容姿に無頓着だった」という大津さんのために、後藤さんは取りつけ部をゼブラ柄にし、ラベンダー色の靴下をプレゼントした。

 両足のすねから下が義足だった大津さんはその後、状態が悪化して両ひざ上から切断。後藤さんが改めて作った義足で毎日リハビリに励み、短い距離なら歩けるようになった。

 「きんさんは当時80歳を超えていたはず。アスリートのようで、目標に向かって歩く姿が印象的だった」。大津さんは14年に亡くなったが、当時の体験がいつも後藤さんの胸にある。

 全生園のもう1人の義肢装具…

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