Gレコに足りなかったのは官能と芸能(小原篤のアニマゲ丼)

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 あり過ぎたのはセリフと戦闘です。観客が“情”をハラに落とすための静かで情緒的な間(ま)が欲しかった。しかし劇場版5部作は沈黙恐怖症とでも呼ぶべきセリフの連続と、空白恐怖症とでも呼ぶべき映像の密度でした。一つ気になっているのは第5作のエンドタイトルのバックに映るゴッホのような絵。「これが何の絵なのか、いつか監督が語るタイミングもあるでしょう」というスタッフの思わせぶりな発言。星雲へ飛んでいく光? イデオン発動篇(へん)のラストみたいな?――なんて発想は単純かしら?

 結論を一気に書いてしまいましたが今回のお題は富野由悠季総監督による「Gのレコンギスタ」。2014~15年にテレビシリーズが放送され、19年に新作カットを交えた劇場版全5部作がスタート、ついに第5作が8月5日に公開され完結しました。80歳にしてなおみなぎるエネルギーには感服します。先に「恐怖症」などと書きましたがそれは受け止めるこちらの印象であって、富野さんは元気バリバリ。

 19~22年に全国8会場を巡回した「富野由悠季の世界」展の公式図録に収録するインタビューで、2日にわたり計7時間弱お話をうかがった時、「富野作品の骨格をつかんだ!」と生意気ながら思いました。19年7月8日の本欄「せめぎあい宇宙」で「ターンAガンダム」(1999~2000年放送)を成功例としてその構造を分析しましたが、ちょいとおさらいしておきましょう。

 作品には公共性がありそれを…

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