SF作家・小松左京の原点を発掘 デビュー前夜の「戦争体験座談会」

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太田啓之
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 小松左京(1931~2011)がSF作家としてデビューする直前の1959年、作家の高橋和巳らと共に開催した戦争体験を巡る連続座談会の記録が発掘された。小松はSF第1作「地には平和を」や、代表作「日本沈没」などの作品を通じて、「戦争と日本人」というテーマを終生追い続けた。若き日の小松の言葉からは戦後も日本人、そして自分自身の中に潜み続ける「日本を戦争へと導いたもの」を徹底的に見据え、明らかにしようとする切実な思いが伝わってくる。

 座談会は、京都大学文学部の同窓生たちと共に小松が56~59年にかけて作っていた同人誌「対話」に掲載する予定で行われた。参加者11人の大半は30年前後の生まれで、敗戦時には15~16歳。

 参加者の1人で、座談会の記録を世に出した荒井健さん(93)は自分たちのことを「天皇制軍国主義に純粋培養され、体制のイデオロギーは受容できても、批判能力は持てなかった世代」と振り返る。小松の盟友で「邪宗門」(66年)などの作品で知られる高橋和巳や、小松を公私にわたって支え続けた産経新聞記者・推理作家の三浦浩らも座談会に参加している。

 小松は京都大学文学部を卒業後、業界誌の記者やラジオのニュース漫才の脚本家など、さまざまな仕事を転々としつつ、作家を目指していた。「戦争についての作品を書きたい」という思いを抱きつつも、旧来の文学の方法では、自分が書きたい「戦争」を表現できないと煩悶(はんもん)していた。

 座談会はそんな中、当時28歳だった小松が企画し、司会やテープ起こし、印刷のためのガリ版切りなど、ほぼすべての作業を自身で担当した。第1回、第2回を終えた後、まとめとして温泉地に泊まり込みで第3回を実施しようとしたが、若さと酒の勢いで「落花狼藉(ろうぜき)、座談会どころではなくなってしまった」(荒井さん)という。

 同人誌自体の発行もその後中断。残された2回分の記録は長年、宙に浮いたままとなっていた。荒井さんは「小松をはじめ参加者の大半が故人となった今、このまま埋没させるのはしのびない」と考え、小松が仲間内に配布したガリ版の印刷物を元に、同人誌「ひょう風(「ひょう」は「颱」の「台」の代わりに犬が三つ)」の第59、60合併号(2020年11月発行)で公表した。

 記録からは、小松がこの座談会にかける意気込みが伝わってくる。

 小松は、戦争中に自分たちを…

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