第25回容易でない戦争終結への道 日本、ドイツ、そしてウクライナは

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牧野愛博
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 77回目の終戦記念日を控えた8月初め、皇居前広場防衛省防衛研究所戦史研究センターの庄司潤一郎主任研究官と共に訪れた。終戦記念日は、平和への思いを強くする日と位置づけられてきた。庄司氏は「終戦に至る過程を考えることが、戦争を繰り返さない道につながります」と語る。

77年前、皇居前広場に集まった人々

 戦前、日本では今の一般参賀のように、市民が天皇陛下と触れ合う機会はほとんどなかった。皇居前広場で開かれた戦勝祝賀式など限られた機会に、白馬に乗った天皇が二重橋に登場した。1945年8月、玉音放送が予告されると、市民が皇居前広場に集まり始めた。庄司氏は「人々は、皇居前広場が天皇陛下に最も近い場所だと考えていたようです」と語る。

 市民らは、ある人は玉砂利の上で土下座し、ある人は立ったまま直角にお辞儀をするなどし、皇居に向かって頭を下げた。「侍従などの日記によれば、市民たちの心情について、天皇に敗戦をわびたり、お礼を申し上げたりする気持ちだったとする記録が残っています」

 庄司氏は「戦争を巡る天皇陛下の役割には色々な解釈や主張があります。ただ、8月15日に辛うじて終戦を迎えた要因として、天皇陛下は欠かせない存在だったことは間違いないでしょう」と話す。

 日本では長く、「なぜもっと早く終戦できなかったのか」「なぜ終戦が8月15日だったのか」という議論が行われてきた。終戦を早めた原因として、主にソ連参戦の影響を指摘する長谷川毅氏と、広島・長崎への原爆投下を挙げる麻田貞雄氏による歴史学者の論争も起きた。庄司氏は「こうした外的要因のほかに、日本内部の事情もあったでしょうし、米国の事情もありました。もっと複眼的に見るべきだと思います」と語る。

ナチス・ドイツと日本、終戦に至るそれぞれの過程

 庄司氏は、ナチス・ドイツと…

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