米軍捕虜は大阪で処刑された 26年ぶりの報告促したある言葉とは

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編集委員・永井靖二
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 77年前の夏、日本の都市空襲に参加して捕虜になった米国軍人約50人が、大阪で裁判もないまま処刑された。1990年代からこの事件を調べてきた歴史家の論文が今年公表された。長く止まっていた研究を動かしたある言葉とは。

 論文は、2月に発刊した「大阪民衆史研究」第74号に掲載された。「大阪民衆史研究会」事務局長で、元大阪府立高校教諭の林耕二さん(72)が寄稿した。

 「大阪憲兵隊事件」と呼ばれる一連の事件は45年7~8月に起きた。

 米側の資料などによると、太平洋戦争末期、空襲作戦に参加し、日本側に撃墜されるなどして近畿一円で捕虜になったB29爆撃機搭乗員ら57人のうち、47人が大阪の中部憲兵隊などによって処刑された。

「概要」後、止まった研究

 事件の関係者は戦後、捕虜虐待などのBC級戦犯として訴追された。現在の横浜地裁で開かれたことから「横浜裁判」と呼ばれた。

 米軍捕虜の記録を調べていた…

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