父も夢見た舞台で駆け抜けた夏 天理不動の1番・藤森「悔いなし」

浅田朋範
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 第104回全国高校野球選手権大会で、天理は12日の海星(長崎)戦で敗れ、5年ぶりの夏の戦いを終えた。印象に残った選手を紹介する。

 奈良大会から不動の1番・二塁手だった3年の藤森康淳(こうじゅん)。8日の山梨学院戦では、四回に一塁側フェンスぎりぎりから風に流された飛球を仰向けになりながらキャッチ。間近に見ていた観客も驚いていた。2―1で迎えた九回2死二塁のピンチではゴロを好捕。海星戦では3点を追う八回に、鋭いゴロで走者をかえす内野安打も放った。

 最後の夏に躍動した藤森の原点は、21年春の選抜大会にある。

 20年秋の近畿大会でメンバー入りしていた藤森は、その選抜大会でベンチから外れた。同期では主将の戸井零士、エース南沢佑音、4番の内藤大翔がメンバー入りした。「自分も入れたはずなのに」。悔しさを胸に「何があかんかったんやろ」と考えた。

 出した答えは「ベンチに入るには持ち味がないといけない」。打てる人はたくさんいる。「足でいこう」と決意した。

 インターネットで練習方法を探し、走力向上や盗塁のメニューに取り組んだ。そしてこの春の選抜大会も夏の甲子園も先発出場を果たす。海星戦から一晩明けた13日、藤森は「夏に向けて磨いてきた走力を出し切れた。やり残したことも悔いもないです」。

 父を超えるという目標も達成した。崇徳(広島)の外野手だった父の大資(だいすけ)さん(45)は1995年広島大会の決勝で敗れ、甲子園出場を逃した。大資さんは「想像以上に頑張ってくれた。藤森家の夢を果たしてくれました」と喜びをかみしめていた。

 負けたあと、藤森は真っ黒になったユニホームで、自分も泣きながら仲間たちをなぐさめて回った。彼の生き方がそこに見えた。(浅田朋範)

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