野球ができる、当たり前ではない 海星野球部が知覧で学んだこと

安藤嘉浩
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第104回全国高校野球選手権大会

 海星(長崎)は昨年11月、鹿児島市で開催された秋季九州地区大会に出場した。

 バスで鹿児島入りすると、真っ先に「知覧特攻平和会館」(南九州市)を訪れた。

 沖縄戦で亡くなった陸軍の特攻隊員の遺品や資料が展示されている。

 主将の柿本彩人は、特攻隊員が家族にあてた手紙が記憶に残る。

 「自分たちと同じ年代の人が特攻に行かなければならなかった。今の自分たちは平和な暮らしができている。野球に集中しよう。もっと楽しんで野球をしようと思いました」

 そうしてたどり着いたこの夏の甲子園。

 1回戦を突破した翌9日の午前11時2分、宿舎の食事会場に集まって黙禱(もくとう)を捧げた。

 77年前の1945年、長崎市に原爆が投下された時刻だ。

 「戦争の影響で野球ができない時代があった。こうやって野球ができることは当たり前じゃないことを忘れないように」

 加藤慶二監督(48)からそう諭された。

 加藤監督は二つの被爆地で暮らしてきた。

 出身は広島県呉市。広島工の主将として第74回大会(92年)でベスト8に進出し、日体大JR九州でプレーした後、海星の教員になった。

 知覧の訪問は「せっかく鹿児島に行くのだからぜひ行こう、と指導陣で計画していた」という。

 部員はほとんどが長崎の出身で、なかには広島から進学してきた生徒もいる。

 「小さい頃から平和教育を受けてきている。きっと何かを感じてくれると思ったのです」

 今も戦火に苦しむ人たちがいる。ロシアによるウクライナ侵攻が始まったのは2月24日。間もなく半年になる。

 加藤監督は言う。

 「自分たちは野球ができる喜びをかみしめなければいけません。そして、戦争の記憶は、絶対に忘れてはいけないものだと思います」

 終戦の日の15日正午、阪神甲子園球場にサイレンが響き、黙禱が捧げられる。

 海星は午後3時半開始予定の第4試合に登場する。選手たちは宿舎を出発する前に、再び食事会場に集まるという。安藤嘉浩